鈴木邦男『愛国と米国』左翼に愛国を見る柔軟さ
本書(鈴木邦男『愛国と米国―日本人はアメリカを愛せるのか』平凡社、2009年)は右翼団体・一水会顧問である著者が反米愛国の少年時代を振り返りながら、アメリカについて正面から考えた書籍である。
著者の思想的特徴は民族派右翼として、親米雇われ右翼とは一線を画す点にある。イラクに行った著者は日本がイラク人からアメリカ帝国主義の先棒を担ぐ存在と受け止められている実態を目の当たりにする。イラクでは「カミカゼ」「カラテ」「サムライ」は広く知られている。
しかし、これは日本が尊敬されている訳ではない。「あれだけ米軍と戦った日本が、なぜ今、米軍と一緒になってわれわれを攻めるのか?そう聞かれて答えられなかった」と著者は述べる。ここには著者の右翼思想家としての良心がある。
本書では出版時に話題となっていた田母神俊雄・航空幕僚長(当時)の論文にも言及する。著者は「自虐史観ではこの国を護るという気にはならない」という田母神氏の怒りや憤りに理解を示すものの、全面的には賛同しない。何故なら、自衛隊は日本の現在を護るもので、過去や過去の歴史観を護るのではないからである。自衛隊は自分を否定する者も護る存在であるべきと主張する。
記者も著者の主張には共感できる部分がある。戦前の日本の軍隊は天皇の軍隊であり、国民を守るものではなかった。沖縄戦では日本軍は民衆を守るどころか、反対に盾にしたこともあった。旧満州(偽満州国)において関東軍は満蒙開拓団を置き去りして真っ先に逃走した。もし自衛隊が真に国民を守る組織であるならば、このような旧軍の体質を徹底的に批判することから始めなければならない。
そもそも戦前の日本を批判的に描く歴史観を自虐史観と呼ぶこと自体が誤りである。戦後日本は戦前の軍国主義を否定した上に成立している。それは国の基本法である日本国憲法の前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」と宣言されているとおりである。
戦前を否定した戦後日本で戦前を批判することは決して「自虐」(自分を虐げる)ではない。戦前の日本を否定的に描いた歴史観を「自虐」史観と受け止める発想は、自己が戦前の軍国主義的体質そのものであると自白しているも同然である。そのような思想が自衛隊内で幅を利かせているならば、自衛隊が国民を守ることはあり得ない。
本書のユニークさは全共闘世代の安保闘争を反米愛国と位置付けている点にある。記者は新築マンションをだまし売りした大手不動産会社と裁判闘争を続けたため(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)、左翼側の人と交わることが多かった。記者のような社会悪に苦しむ被害者には左翼の方が共感する人が多いという現実があるためである。
それでも少しの異論も許容しない教条主義的なところに閉口させられることもあった。そこには左翼が否定する戦前の軍国日本と同じ体質があった。狭量な一部の左翼に比べると安保闘争からも愛国を見出す著者の発想は柔軟である。お互いの思想を知ることの重要性を実感した。
東急不動産消費者契約法違反訴訟を描いたノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社、2009年)の著者です。

