歌人・与謝野晶子の唱える「教育の民主主義化」  ~都教委裁判・第7回口頭弁論~

 在職中から、東京都教育委員会(以下「都教委」と略す)が各学校に出した職員会議での〈挙手・採決禁止〉通知(2006年4月)に異を唱えて来た土肥信雄前三鷹高等学校校長(09年3月定年退職)。在職中は、法令や都教委からの通知には従い、一度も処分を受けなかったにもかかわらず、土肥氏は東京都から「再雇用拒否」に遭う(注・08年度の再雇用率は98.66%)。土肥氏の発言に対する報復であるとの声が聞かれる中、「学校現場から〈言論の自由〉が失われる」との危惧を抱いた土肥氏は、09年6月、都教委を相手に都教委の教育行政の是非を問う裁判を起こす。石原都政下、都教委を被告とする裁判は数多く起こされているが、その中でも土肥氏の起こした裁判は、今後の教育行政のあり方を左右する裁判として各界から注目されている。 

「都教委による学校教育への介入は教育の自由を侵害する」――報告会で意見を述べる、浪本勝年立正大学教授(撮影・三上英次 以下同じ)

 すでに原告土肥氏側、被告都教委側、ともに主だった主張は書面で出そろい、今後は、証人尋問が始まる予定だ。土肥氏側は、教育評論家の尾木直樹法政大学教授や、元三鷹高校教員、元校長、保護者、生徒ら10名ほどの証人申請をしているという。 

 来月2日(木)には、下記の通り、第8回裁判が行われる。 

◎ 9月2日(木)午前10時~

◎ 東京地方裁判所 527号法廷(定員42名)

 尚、裁判終了後には、隣接する弁護士会館(502号室)で報告会も予定されている。

 ◇

 第7回裁判(6月28日)と同じ日に弁護士会館で行われた報告会では、浪本勝年立正大学教授による「鑑定意見書」について説明がされた。 

 〈教育行政機関〉である教育委員会が、〈教育機関〉である学校の長に、その学校の運営方針(例 職員会議)や教育内容(例 文化祭での展示物)について、どの程度まで関与できるのか――A4用紙30ページにわたって論究されたのは、まさにその一点だ。 

 鑑定意見書の冒頭、浪本教授は、歌人であった与謝野晶子(1878~1942)が1919年に記した「教育の民主主義化を要求する」という一文を紹介する。

 「明治初年このかた何事も官僚によって切り盛りされねばならぬ未開時代にあったのですから、教育もまた官僚化したことはやむをえない歴史的過程であったでしょうが、今はもう教育の民主主義化を実現しなければならぬ時期に達していると思います。

 現在の教育は文部大臣と、それに属する官僚的教育者とによって支配されている教育です。臨時教育会議というような文部大臣の諮詢(しじゅん)機関ができて、官民の間から委員が選ばれることもあるようですが、その実際は真の国民の代表者は参加しておらず、国民の中の特権階級である少数の財閥者がそれもほんの申し訳だけに1、2の人たちが加わっているに過ぎません。(略)

 今日は文部省の専制的裁断に屈従した教育です。国民は全くその子女がいかなる理想と手段とによって教育されているかを知りません。(略)

 国民の参与を許さない教育であればこそ、今日までのように家庭の父母が学校教育に対して冷淡になっていますが、教育委員として各自治体の教育に参与する権利が多数の父母に容認される暁(あかつき)には、子女の教育に対する国民の自覚がにわかに尖鋭となり、その権利を立派に行使するだけの実力が国民に備わっていくことを私は予断します。こういうふうに国民の自発的要求に支持されてこそ初めて国民教育の意義を実現することができると思います。只今のように、学校から父母に対して、時々の参観や学校に対する注意を形式的に求めているに過ぎない間は、決して教育は国民化せず、官僚任せの孤立的教育に停滞するのはやむをえないことだと思います。」 

 この与謝野晶子の洞察を、浪本教授自身「あたかも今日における日本の教育の問題状況を指摘しているかのごとき卓見」(P5)と評する。たしかに現在の石原都政下の教育施策は「専制的裁断に屈従した教育」と表現できるであろうし、「国民(都民)は全くその子女がいかなる理想と手段とによって教育されているかを知りません」という状況も、都教委の手法に警鐘を鳴らす土肥氏の著作(岩波ブックレット『学校から言論の自由がなくなる』)からすれば、容易にその類似点がうかがえるだろう。

 「官僚任せの孤立的教育」を打破するために、教育の実態をオープンにし、自由な意見交換を可能にしてこそ、真の教育が可能だと与謝野晶子は説くが、その閉塞状況は今の東京都の現状と変わるところが無い。  

東京都教育庁、都立学校教育部のフロア

 浪本教授は、そのあと、戦後の「教育委員会」の歴史的経緯を明らかにし、教育基本法の制定(1947年)に関わった関係者の次のような言葉も紹介し、「教育行政機関が、教育機関に介入すること」の不当性について注意を喚起する。 

 「従来教育行政官は、中央集権的な教育行政制度の運営者として、教育が国民全体に対し責任を負うという自覚に欠け、独断的傾向が強かったのである。将来においては、国民の名を借りて不当な影響が教育に介入するおそれがある。教育行政官吏は、かかる不当な支配が教育にはいらないよう、教育を守らなければならないのである。」 

 この言葉をとらえて「ここで戦後教育行政の基本的役割が、教育を守り育てるための教育条件整備行政にあり、その特殊性からして教育内容へ介入すべきではない、との基本原理が打ち立てられたことに注目しなければならない」と浪本教授は説く(P7)。

 さらに、浪本教授は、教育委員の「公選制」が1956年に「任命制」へと法改正され、住民、保護者などの一般人の意思を反映しにくくなるという意味で、教育委員会の空洞化、形骸化を指摘する。そして、「存亡の危機」(P14)に立つ教育委員会への「何らかの住民投票の仕組みを導入した制度改革」によって、「地域に根付いた〈顔の見える〉教育委員会の実現」を提言している。

 実際に、都教委のやって来たことは、どのようなことであったのか。浪本教授は、鑑定意見書(P14-15)で、次のよう具体例を挙げている。

東京都庁 第1庁舎

例 学校の文化祭等における生徒の表現に対する介入

例 職員会議における〈挙手・採決禁止〉通知の発令

例 土肥校長(当時)の発言に対する恫喝や執拗な「指導」

例 実際には守秘義務違反に相当しない発言を守秘義務違反だとするような強弁

例 卒業式・入学式における教職員の「君が代」斉唱に関する執拗な指導、個別的職務命令への強制 

 

 浪本教授は、都教委のありようを「恒常的暴走状況」(P5)、「節度なき教育行政」(P14)と表現し、都の教職員は「文字通り『窒息状況』にあるといわざるを得ない」と意見を述べている(P15)。

◇ 

 教育委員会が教育現場の人事権を握り、学校長以下、教職員は教育委員会の顔色をうかがいながら、日々の教育実践に勤しんでいる――そんな構図が〈教育委員会〉と〈校長〉の一般的関係として想像されるが、浪本教授が鑑定意見書で明確にしているのは、〈教育行政を担う教育委員会〉〈教育の実践者である校長〉、そして両者が立場の違いをわきまえることで実現される〈教育の自由〉だ。 

 浪本教授は次のように書く。 

 「教育行政機関からの学校に対する『不当な支配』が行われようとする場合には、校長は学校の長として教育的識見を発揮して、学校を、また教職員を率先して守らなければならない」(P16)

 「教育委員会は、公立学校の設置者であり管理者でもあるが、〈教育〉機関ではなく、〈教育行政〉機関である。それゆえ自ずから行政機関としての一定の〈節度〉をもって教育機関である学校に接していかなければならない。」(P22) 

 「都教委の通知(注・〈挙手・採決禁止〉通知)は、……学校内部の運営に関し、教育行政が乱暴に踏み込むものとなっている。」(P21)

◇ 

 さらに浪本教授の考察は、1947年に制定された「教育基本法」第10条にも及ぶ。 

「第10条

 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」 

 浪本教授によれば「第1項の主語が〈教育〉と書かれているのに対し、第2項の主語は〈教育行政〉であることにも注目しておきたい。すなわち、本条は〈教育〉と〈教育行政〉を明確に区分し、それぞれの在り方及び両者の関係の在り方についての基本原理を規定している」とのことである(ちなみに現行の「教育基本法」第16条も〈教育〉と〈教育行政〉とは明確に区別して書かれている) 

 そして、当時教育基本法の立法に携わった人々による『教育基本法の解説』(1947年)から適宜引用しつつ、当時の立法意思と、第10条「不当な支配」の内容を明らかにしている。 

早稲田大学(教4)の君塚さん〔左〕。他にも、大学院の博士課程で教育行政について研究する海老澤さん(博3)など、裁判では学生の姿も目立った。

 特に「教育の自主性」と書くと教育者の独断、ひとりよがりを許すように読めるので、「教育は不当な支配に服することなく」という表現に変えられたこと(P27)、元文部大臣であり2代最高裁長官を務めた田中耕太郎(1890~1974)も戦前の教育について「これまでの日本の教育は不当な干渉を受け、教育者は卑屈になり、教育全体が萎縮し、その結果として軍国主義や極端な国家主義の横暴を許すことになった」という趣旨のことを述べていること(同頁)も紹介され、教育の政治的干渉や官僚的支配からの独立がいかに大切かであるかが明らかにされている。

◇ 

 鑑定意見書の最後に、《貴裁判所への期待》として約700字で、土肥氏が「学校に〈言論の自由〉が保障されていることが学校における喫緊の課題であること」を訴えて闘っていること、「〈言論の自由〉の保障は、広く全国の学校にも共通に求められていること」を述べている。そして、「本件訴訟の帰趨(きすう)は、日本の教育界に言論の自由、教育の自由を保障し、学校がのびのびと、また生き生きとその本来の教育的使命を達成できるようになるのか、あるいは現在の権力的な教育行政がもたらしている憂鬱な雰囲気の学校をさらに萎縮させるものとなるか、この大きな岐路を左右するもの」と位置づけ、裁判所が「人権保障の砦として、その名にふさわしい人権感覚のあふれた判断」を行うことを求めている。 

 土肥信雄氏は裁判の過程で『私の思い』と題する小文を記している(下記参照)。浪本教授の鑑定意見書も、土肥氏の「思い」と同様に、教育行政機関の〈教育現場への不当介入〉が歴史的に見てもいかに危険であるかを見事に解き明かしている。

(了) 

 

報告会であいさつする土肥信雄氏。向かっていちばん左は、『生徒がくれた“卒業証書”~元都立三鷹高校校長土肥信雄のたたかい~』(旬報社)を書いた澤宮優氏。

〈関連記事〉 

◎ 在職中の土肥信雄三鷹高校校長が語る〈言論統制〉の実態

 http://www.news.janjan.jp/culture/0903/0903209830/1.php

◎ 提訴にあたって(09年6月のインタヴュー)

 http://www.news.janjan.jp/living/0906/0906155123/1.php

◎ 土肥信雄氏、冒頭陳述(第1回口頭弁論)

 http://www.news.janjan.jp/living/0907/0907247662/1.php

◎ 「連帯を求めて孤立を恐れず」~土肥氏の原点~(第2回口頭弁論)

 http://www.news.janjan.jp/living/0909/0909120134/1.php

◎ 〈言論の自由〉だけは絶対に譲れない(第3回口頭弁論)

 http://www.news.janjan.jp/living/0911/0911062762/1.php

◎ 「不都合なこと カットの原則」(第4回口頭弁論)

 http://www.janjannews.jp/archives/2305890.html

◎ 西原博史早稲田大学教授 鑑定意見書 提出

 http://www.janjannews.jp/archives/2874177.html

◎ 土肥信雄氏「私の思い」全文 (第5回口頭弁論)

 http://www.janjannews.jp/archives/2886169.html

◎ 尾木直樹法政大学教授 鑑定意見書 提出(第6回口頭弁論)

 http://www.janjanblog.com/archives/7367

◎「土肥氏にゆかりのある高校」の現職校長、取材をドタキャン!?

 http://www.janjannews.jp/archives/2578965.html

〈関連サイト〉

◎ 土肥元校長の裁判を支援する会 ~New!~
  http://dohi-shien.com/html/
◎ 学校に言論の自由を求めて
  http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi

〈支援集会〉

 今年2月に行われた、土肥氏への支援集会「モンスター都教委さま、裁判へようこそ!」の〈Part.2〉が下記日程で行われる。

《日 時》2010年10月2日(土) 14時から16時30分

《場 所》四谷区民ホール(東京) (地下鉄丸の内線「新宿御苑」駅下車)

《参加費》500円 

※詳細は「土肥元校長の裁判を支援する会」のウェブサイト参照

 

 

※本記事に対するご意見・お問い合わせは下記まで。

pen5362@yahoo.co.jp (三上英次/現代報道フォーラム)

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