柔道家の帰る場所 ~嘉納治五郎と「柔道ルネッサンス」~
2001年から、講道館と全日本柔道連盟(全柔連)は、〈柔道ルネッサンス〉という運動を展開中だ。ウェブサイトなどの説明には「嘉納師範が提唱された柔道の原点に立ち返り、人間教育を重視した事業を進めようとする講道館、全柔連の合同プロジェクト」とある。

(写真1) 講道館に貼られた〈柔道ルネッサンス〉のポスター (撮影・三上英次 以下同じ)
「柔道の原点」とは「両足タックル」などの嘉納の時代には行われていなかった技や試合形式を見直すだけではない。嘉納自身の思想、柔道創始の理念に立ち返るということが、ルネッサンス(回帰)の意義のはずだ。
記者は今回、「嘉納治五郎著作集(全3巻)」を通読した。
読後思い浮かんだことは、柔道指導者はもちろん、柔道を始めようとする者すべてが嘉納治五郎の思想にふれられる環境を整えることが、これからの柔道の普及には必要ではないかということだ。それは日本語だけに限らない。英語、フランス語、ドイツ語など、あらゆる言語で、嘉納治五郎の思想を伝えていくべきである。なぜなら国際柔道連盟規約には「国際柔道連盟は嘉納治五郎によって創設された肉体と精神の教育体系を柔道と認める」(第1条)と明記されているからだ。
さらに、柔道の〈技〉だけではなく、〈思想〉も正しく広めていくことで、学校現場での柔道指導もより安全なものになっていくに違いない。
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今年は嘉納治五郎(1860~1938)の生誕150年という節目の年である。同時に、学校や民間道場での柔道死亡事故が後を絶たず、大阪では全柔連そのものを被告とする損害賠償訴訟まで起こされている(2010年6月9日)。しかし、逆に言えば、そういう時だからこそ、柔道の指導者、学校関係者らは率先して嘉納治五郎の思想に立ち返ることが必要なはずだ。
改めて嘉納治五郎の言葉にふれると、その先見の明に驚かされると同時に、学校の部活動などで見られる〈過度のしごき〉、〈安全性を無視した柔道指導〉、〈勝利至上主義〉等と嘉納の思い描いた理想とのへだたりを感じざるを得ない。もし、国際柔道連盟が規定するように「嘉納治五郎によって創設された肉体と精神の教育体系」を〈柔道〉と呼ぶのであれば、柔道の指導者は、いたずらに試合の勝ち負けにこだわらず、以下のような嘉納の考え方を日々の柔道指導に生かすべきだろう。
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(1)初心者への指導のあり方について
嘉納治五郎は「柔道の教授訓練は、その教えを受ける人間の種類によって、その方法を異にすべきは当然である」と述べ、例えば警察で柔道を教える時は、実践的な護身術として柔道を教え、「学校においては身体の鍛錬と精神の修養に重きを置くべきである」としている(注1)。
「身体の鍛錬や精神の修養」は、ほかの武道やスポーツの指導者からも聞かれるところだが、記者が瞠目(どうもく)するのは、続く学校での指導に関する、次のくだりである。
「教授上第一に注意すべきことは、初心の者に怪我をさせぬことはもちろん苦痛を感じしめぬようにしなければならぬ。初心の者は怪我をせぬにしても痛かったり苦しかったりすると稽古を中止したり、継続はしても畏縮して伸びた業が出なくなってしまう。子供は子供のように、大人は大人のように細心の注意をして苦痛を感じしめぬように当分の稽古を続けさせねばならぬ。」
初心者への配慮という点では、全14巻からなる「嘉納治五郎体系」にも次のような記述が見える。
「稽古をするものは、相互に対手のためを図りながら自分のためを図るという心掛が必要である。もし一方が、自分のためばかりを考えて練習する時は、対手(あいて)も同様の態度に出(い)で、ついには喧嘩腰にもなりかねない。そういうことでは決して技は上達するものではない。相互に労(いたわ)り合いもすれば、我慢の仕合いもし、練習上必要ならば、わざと倒れもして、双方自分の練習をしながら対手の練習上に便利を与える心掛がなくてはならぬ。それが結局相互の利益になるのである。ことに初心者を対手にして稽古する時は、怪我をさせぬことはもちろん、なるべく苦痛なく早く技が覚えられるように導かなくてはならぬ。それには多少の面倒も免れまいし、自身には面白味のないこともしなければならぬ。」(注2)

(写真2) 「嘉納治五郎著作集」全3巻(五月書房)
(2)試合での勝ち負けについて
現在の学校現場でも試合のありかたについて議論があるが、嘉納自身「対抗試合」に関して相当頭を悩ませていた様子が著作からはうかがえる。
「近年学校間の対抗試合などを見る時は、往々柔道の高尚なる目的を忘れて目前に勝つとか負けるとかということが柔道の目的であるかのように思い違いをしているのではないかと疑われる。勝負である以上勝つがよくて負けるが悪いということはもちろん分かり切ったことである。しかし、勝つにしても道に順(したが)って勝ち、負けるにしても道に順って負けねばならぬ。負けても道に順って負ければ、道に背いて勝ったよりも価値があるのである」(注3)
「学校間の対抗試合の如きは、修行中の練習の一つの形に過ぎぬのである。だからそのときに勝つとか負けるとかいうより、真剣勝負の時に負けないように実力を養っておこうという心掛けが大切なのである。」(注4)
「対抗試合をしてその目的を十分に達しめようとするならば、対抗する相互の者の考えが徹頭徹尾柔道の精神に適合していなければならぬ。まず第一に、前述の如く、その際勝つとか負けるとかということは主たる目的ではなく、従たる目的である。主たる目的は、そういう経験によって己の実力を磨こう、他人を接待したり、他校の人と交わる稽古をしよう、他校の人と技を闘わして互いに楽しもう、平素試合をせぬ人はどんな技を持っているのであろうか、思い掛けない技を掛けられて負けるであろうか、こちらの技を知らぬため先方がどんな不覚を取るであろうか、単に柔道の技術の試合のみではない、柔道の修行によって磨き上げたこちらの精神や態度を先方の精神や態度と比較して、もし及ばぬところがあるならば先方に学ぼう、己が優っているならば先方を導こう、われは今こそ学校を異にしているが、他日国家社会に立って共々働くのであるから、こういう機会に親睦しておいて、他日社会に立つ時は何校出身というような狭隘な考えをもって隔ての出来ないよう心がけよう、などというふうに考えて、この種の試合を挙行しなければならぬ。(中略)柔道の修行者が文武の両道にわたって研究練習を積んでこそはじめて国家社会に貢献することも出来、世人から尊敬を受くることも出来るのである」(注5)
(3)日常生活について
嘉納治五郎の著作で興味深いことは、嘉納が生徒や指導者に向けて日常の細かい点にまで注文をつけている点だ。
「衣服にしても、必要以上に多くを所持するのも柔道の趣旨に反するし、必要の時に修理を怠ってもならぬ。靴の如きは少し手入れが悪いとたちまち破損して用を為さなくなるのに反して、適当の手入れを怠らねば長く用に立つ。」(注6)
「よって柔道を修むる者は、まず一身にかかわることから始め、社会国家の問題にも及び、出切るだけ無駄をせぬよう、能率を高めるよう百方努力しなければならぬ。」(注7)
嘉納は「柔道の原理を生活全般に応用できる」として、「国民の生活上の大いなる無駄」にも言及している。例えば、下駄を改めて靴にしたほうが経済的だとか、靴下も安いものよりも多少高くても品質のよいものを修繕して長く履いたほうが経済的だとか、羽織も紋付でないほうが新調の費用も安く済むといったことを書いている。(注8)

(写真3) 東京・東上野にある永昌寺境内の「柔道発祥の地」の石碑。柔道が嘉納治五郎によって創始されたことは知られているが、その時の年齢がわずか22歳であったことはあまり知られていない。(写真5)の高校生が17歳であるから、その5年後に柔道を創始したという計算になる。
(4)柔道に対する非難への反論
柔道の普及に努める嘉納治五郎に対して、柔道に対する非難もあったらしい。大正8年、嘉納は「柔道と衛生」(注9)という小文を書き、そこで当時の柔道に対する非難に反論を試みている。
嘉納が取り上げている非難は次の4つだ。
〔ア〕道場に塵埃(じんあい)がたって、それを吸入することは衛生上よくない
〔イ〕柔道の運動は過激だから幼年の者や虚弱の者には適当ではない
〔ウ〕柔道は怪我をするからよくない
〔エ〕柔道を修行するとまれに盲腸炎にかかることがあるから危険だ
「柔道をすると盲腸炎になる」とは、とんだ風評もいいところであるが、「これらの非難は多くの人にはほとんど説明を要せぬ程理由のないことであるが、たまにはそういうことを聞いて柔道の修行を躊躇する人がいないとも限らぬから、一応説明しておこうと思う」――嘉納は、こう書いて、上記4つに反論を加えている。
〔イ〕については「血気盛んな者同士あるいは熟練した者同士の稽古をみれば、幼年の者や虚弱の者には適当ではないとの感想を持つかもしれない」とした上で、柔道は「畳を打つのも転がるのも一々法則があって、危険もなく苦痛も感じないように出来ている」と説明している。
「初心の者は初心の者に相応した仕方があり、幼年者には幼年者、虚弱者には虚弱者で、それぞれにいろいろの順序方法があるから、少しも心配する必要はないのである。予は永年この道を教えているが、運動が過激であって害があるということを感じたことがない。実際身体に害のあるようなやり方は各自が苦しくて出来るものではない」(注10)
ここには嘉納の、体の弱い者に対する温かな配慮がある。近年の部活動などに見られる、暴力的な「しごき」や誤った「精神主義」は微塵も見られない。その大きな理由は、嘉納自身が、幼少の頃に虚弱だったことによるだろう。「柔道家としての私の生涯」という嘉納の書いた文章を読むと、年少の頃、嘉納は学業の上では他人に遅れをとることは無かったが、体の強い者が力を誇示して弱い者はその下に従わなければならなかったことを回想している。
〔ウ〕の「柔道は怪我をするからよくない」との意見に対しても同様だ。嘉納は次のように書く。
「第三の危険ということは、今日の講道館においてはほとんど全くなくなったというてもよいと思う。往時(おうじ)教授法の整頓していなかった時代には怪我がないでもなかったが、今日は練習に順序が定まっており、危険を防ぐために種々工夫が出来ていて、ほとんど絶対的に心配のないようになっているのである。たまたま怪我があれば、その原因は適当なる教師が指導しなかったというようなことか、あるいは教師の教え方に遺憾はなくとも一人の教師にあまり多人数の修行者を教えさせ、練習不行届きのためというようなことである。ある場合は設備が不十分で、狭い道場であまり多くの人が稽古するため、柔道そのもののためでなく人と人と衝突して怪我することもある。そういうような怪我を柔道そのものの罪にせられては、柔道は大いに迷惑を感ぜぬわけにはいかぬ。」
また嘉納は、次のように言葉を足す。
「昔は教授法等も進んでいなかったから稽古の際、骨折・打撲の恐れも自然今よりは多く、また締め技、寝勝負をする際にもほとんど毎日脛(すね)をすりむく。必ずしも酷(こく)な修行ではなかったのであるが、かような事が多くの人の目にとまっているゆえに柔道といえば一種危険なもののような感を起こさしめたのであった。自分は高尚なる種類に属する柔術諸流にわたって研究をつみ、柔術というものはその方法によっては危険のないばかりではなく体育として大いに価値のあるものであるということを認むるに至ったのであるが、世人にはさようのことは容易には解らない。世間の人々にこれらのことを了解せしむるまでには相当の年月を要した。」(注11)
つまり、柔道の草創期には、「柔道は怪我をするからよくない」との批判もあったが、「世間の人々にこれらのことを了解せしむるまでには相当の年月を要した」しかし、現在(大正8年)では人々の認識も改まり、柔道の怪我の可能性については「ほとんど絶対的に心配のないようになっている」と嘉納は述べているのだ。それでは、現在の学校現場など頻発している柔道の死亡事故は何に起因しているのだろうか、海外での柔道の脳損傷事故や死亡事故ゼロと合わせて、嘉納の言葉も、現状分析の手がかりとなるだろう。

(写真4) 「嘉納治五郎大系」 全14巻 見開き写真の右側は、かつての永昌寺
(5)柔道の教師に対する希望
さきの「脳損傷と柔道事故」シンポジウム(6月13日)では、〈加速損傷〉という、頭が高速で回転する(=ゆさぶられる)ことによる脳損傷の類型について、野地医師より紹介があった。柔道の死亡事故について、次の2点について考えることが大切だ。
◎柔道以外にも、脳が高速回転を起こす競技は、アイススケート、トランポリン、器械体操、合気道等いくつかあるが、そのどの競技でも、柔道ほどの死亡事故は起きていない。
◎もし「柔道に特有の動き」が危険であるならば、海外でも同じ割合で死亡事故が起きていてもよいはずだが、海外では、柔道での脳損傷による死亡事故はゼロに近い。
そこで出て来るのが、指導者の質である。柔道そのものに危険性が内在していなくても、もし、柔道を指導する人間が安全面について配慮することがなければ、上の◎のような事態が生じて来ることは理解が出来る。以下に、嘉納治五郎の唱える〈指導者〉像を拾ってみた。
「どのぐらい技術が巧妙であっても、教授法が拙劣であれば修行者の上達は望み難いものである」
「最初はわかりやすく覚えやすいものを選び、順序なども上手に考えておかぬと、生徒がまごついて乱雑になって困る」
「柔道の教師は、個人的に生徒に接する機会が多いから、生徒の訓育上大いに力を尽くさなければならぬ。それには、柔道の教師は自己の専門以外の知識もなるべく博(ひろ)く収得し、生徒の各般の質問にも応じ、将来の方針についても指導し、社会に出てからの心掛けなども聞かせ得られるようでなければならぬ。」
「稽古の際は、道場全体に行き渡るように目を配って少しでも間違った稽古の仕方をする者があれば、いちいち懇篤に教えるように心掛けねばならぬ。これはずいぶん骨の折れることではあるが、かくすれば生徒の精神も始終緊張して技術も早く進み、怪我をする恐れもない」
「道場においては業(わざ)は無理な掛け方をしてはならぬと口では教えていながら、教師自身が無理なことをして力ずくで生徒を投げたり締めたりするようなことがあれば、教えの力は半分以下にも減じてしまう。道場の秩序風紀は教師の行動如何に関係することが甚だ多いから、教師たるものは平常ももちろんであるが、殊に道場においては威儀を正し、行動を慎まなければならぬ。教師の心掛けとして、犯すべからざる威厳と溢るるばかりの親愛の情が表れるようでなければならぬ」(注12)
(6)「柔道」命名の理由・草創期の苦労
「明治15年に柔術を柔道に改めたのは種々の理由があった。他にも理由があったが最も大なる理由は、講道館の教うるのは道が大体であって術は付随したものであり、かつ道に入る手段であることを明らかにするためであった。」(注13)
嘉納治五郎は、明治15年、わずか22歳の時に「講道館」を興すが、その草創期は今の柔道の隆盛からは想像できないほどの苦労があったようだ。
その一つが「いかに弟子を得るのに苦しんだか」ということだ。「自分は柔道師範として相当に自信は持っていたが、世間から見れば若年の一文学士である。柔術のもっともすたっている時代において、まだ世に名もない若年の文学士のところに柔術を学びに来ないのは当然のことである」(注14)
道場においては「稽古の時間帯を限定すると人が来にくい」という理由で、日曜日は朝7時から正午まで、平日は午後3時から7時までいつ来てもよいことにしたらしい。けれども、いつ来ても相手が出来るようにと待ち続ける側としてはかなり大変だったようだ。
「日曜日の、寒気のきびしい午前7時からのときなどは人の来ると否とにかかわらず、じっと待っていることの苦労はたいていなことではなかった。」
当時の門下生西郷四郎は、嘉納が出られない時は代わりに道場で入門者を待ったのだが、あとから嘉納が行くと「西郷は凍りつくような道場で身に迫る寒さと戦いながら、唯一人ポツネンと来場者を待っている」ようなこともあったという。
この時期のエピソードとして、もう一つ興味深いことが、嘉納は柔道の教授に明治27年まで一切金銭をとらなかったということだ。明治27年以降は入門料1円(当時)を徴収したり、明治37年からは毎月30銭の道場費を取ったりするようになった。しかし草創期の「経済上の苦心」(注15)はかなりのものがあったらしい。嘉納は、教育者としての収入を講道館の運営に充てたり、さらには翻訳などによる収入を講道館の諸費用に回したりしたという。
明治15年当初「入門したる者わずかに9人、翌年は8人に過ぎなかった」門下生も、その後は、2万2千余人(大正10年10月)、4万8千余人(昭和4年12月)と増加の一途をたどっていく。(注16)
◇
現在の柔道は、ポイントを重ねて「勝ち」に持ち込むような柔道のあり方には反省が加えられている。また国際柔道連盟の2010年「反則集」(動画)を見ると、これまではポイントとして有効であった技が「反則」になることが見て取れる。例えば、レスリングのタックルのような技、相手の足を持っての技などだ。他にも、青色柔道着の導入など、柔道創始者嘉納自身が予期していなかったような変化も見られる。テレビ放映の事情などを考えればやむを得ないところもあるかもしれない。
しかし、嘉納が、その著作で繰り返し述べている中核の部分――これは、いかに時代が変わろうと、柔道家は守っていかなければならないのではないか。例えば、初心者に対する配慮、怪我の防止、柔道家としての品格、自己研鑽――記者は柔道に関しては門外漢であるが、今回、著作集を通して嘉納の人となりにふれ、若干22歳で「柔道」を興し、その後77歳で没するまで、ひたすら柔道を通じて人間教育に邁進した嘉納の姿勢に感服し、また大いに励まされた。
同じように、これから柔道を始めようとする小学生あるいは中高生が、嘉納の言葉によって勇気づけられ、また慈愛に満ちたよき指導者によって、社会に有意な人間として育っていくことを願ってやまない。
※文中敬称略
(了)

(写真5) 後輩の試合応援に来ていた柔道部員の山下君(左)と吉田君(右)。ともに高校2年生でそれぞれ柔道の修業年数はすでに10年ほどだという。「将来はオリンピックに出たい」(山下君)、「雑誌の表紙を飾るぐらいの活躍をしたい」(吉田君) 柔道について語るふたりの笑顔はさわやかだった。7月28日、東京武道館にて。
(注1)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P184
(注2)「嘉納治五郎体系 第3巻」第14「柔道訓話」P402
(注3)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P87
(注4)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P88
(注5)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P89
(注6)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P92
(注7)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P93
(注8)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P252
(注9)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P231~
(注10)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P232
(注11)「嘉納治五郎著作集・第3巻」P91
(注12)引用した5つは「嘉納治五郎著作集・第2巻」P226~
(注13)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P141
(注14)「嘉納治五郎著作集・第3巻」P39
(注15)「嘉納治五郎著作集・第3巻」P95
(注16)「嘉納治五郎著作集・第2巻」P121
〈関連記事〉
◎「全国柔道事故 被害者の会」村川副会長に聞く
http://www.janjanblog.com/archives/4824
◎「柔道事故と脳損傷」シンポジウム
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(後) http://www.janjanblog.com/archives/6104
◎おもてに出なかった〈柔道〉4件目の死亡事故
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◎「柔道死亡事故・文部科学省が負うべき2つの課題」
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◎「剣道6段の語る〈柔道〉指導のあり方」
〔前〕 http://www.janjanblog.com/archives/12861
〔後〕http://www.janjanblog.com/archives/13209
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