私の中の中国6.私中国人アル⑦
支那人と中国人
以前、石原慎太郎東京都知事が中国を挑発的にシナ、シナと呼んでいた頃「中国人にシナ人と言ったらそんなに嫌がるのかなあ」と父に聞いてみた。「嫌がるなあ」父は顔をゆがめて即座に答えた。父がきっぱり断言するのは1938年から1953年までの在中国時代の経験からきている。戦前の中国でも中国人はシナ人と呼ばれるのを嫌っていた。
満州国人が一部の日本人に対して眉をひそめる一つのことは、時々泥酔して、街路をだらし無く千鳥足で横行し、放歌高吟することである。中略 もう一つの嫌いなものは、無作法、傲慢、粗暴で、なんぞというと直ぐ腕力に訴えることだと言う。この中で、無作法と思われる中には双方の国情風習の相違より来るものが多いであろうし、又何ぞと言うとじき殴りつけると言っても斯様な人も場合も極めて少ないには相違あるまい。 中略 それからもう一つ、先にも少し触れたが、満州国人は『満系』などと言われるのを嫌う。驚く可きことには、中国人自身が『支那人』と言われるのをすら厭う。『満州人』又は『満州国人』と言う可きであろう。
昭和18年発行 山本惣治著「満州・人と生活」より
1953年に中国から引き揚げてきた我が家にとって中国は身近な国だったが当時日本政府は台湾が中国(国府)で大陸を中共と呼んでいた。中国から直接「人民中国」とか「中国画報」といった雑誌を取っていたので、自然話題は中国のことが多かった。思い起こせば両親は支那とかシナ人なんて言い方をしたことが無かった、特に母が言うのを全く聞いたことが無い。昭和30年代父を尋ねてよく呑み助がやってきた。6畳一間の狭い部屋で酒盛りをしだすと支那とか支那人という言葉が飛び交った。彼らは大抵大陸に出征していたので、自然と口に出るのだが、父はたまにつられて支那というときもあったがめったに言わなかった。このことをしっかり憶えているのはシナと呼ぶ人間は父と同年代以上の兵隊経験者にほぼ限られていたからだ。石原都知事のような、父より下の世代ではシナなんて言い方をする人は全くいなかった。
父と同年代の兵隊帰りがシナとかシナ人とか言ってもそんなに不自然な感じがしなかった。彼らは中国蔑視の中で、習慣になってしまい周りにはそれ以外の言い方をする人がほとんどいなかったからだ。とはいっても戦前の中国の正式国名は中華民国で略して中国と呼んだ。日本政府が蒋政権とか重慶とか言うようになるのは、盧溝橋事件が起こり、公然と日本が中国に攻め入ってからである。
日本にとって1940年3月以後「正式」な中国は南京の汪兆銘政権で汪兆銘の肩書きは中華民国主席兼行政院院長である。昭和18年1月13日に発行された写真週報には汪精衛(汪兆銘)来日の記事が載っている。ここでは中華民国政府の主席と正式な名称を用いている。日本に抗するものは支那と呼び、擦り寄るものには中国とも呼ぶ、呼び方一つでその国家や人間の意図が見透かされる。次のページでは「わが指導援助に新中国軍一段と強化」と日本の軍事援助によって南京カイライ政府が成り立っていることを物語っている。
その次をめくると「わが戦力増強へ新中国の資源総動員」と日本の戦争目的が中国の資源の収奪にあることをあからさまに謳っている。
中国人がシナと呼ばれるのを嫌がるのは、日本人にシナと呼ばれた時代に自国の多くの人間が殺され、資源を収奪され、国土を蹂躙されたからだ。屈辱的な過去を懐かしむ人はいない。
近年、私の実生活でシナと呼ぶのを聞いたのは、父が亡くなった4年前、近所の人で「郷はんは義勇軍でシナにいっとったんよのお」と言った、80歳ぐらいの老人の言葉が最期だった。しかしネットでは戦前に教育されたわけでも無いのに、シナやシナ人と侮蔑的に呼ぶサイトが目白押しだ。私は中国に批判することがあればドンドン言えばよいと考えるものだが、歴史的経緯を知らず人の嫌がる呼び方をして溜飲を下げるのは批判以前の情け無い態度だと思う。人間関係においても、国家関係においても相手をどう呼ぶかは相手の立場を尊重しているかどうかが分かる最初の一歩である。日本のネット社会の一部もいい加減子供のようなことをするのはやめなければいけない。
「私中国人アル」完
筆者のブログ:父の15年戦争 ローシャンのブログ
1952年中国漢口生まれ、人民解放軍に勤めていた両親、妹と1953年帰国
現在南あわじ市在住、自営業
【ご意見板】46 件の書き込みがあります






「中国人自身が『支那人』と言われるのをすら厭う。『満州人』又は『満州国人』と言う可きであろう。」というのは、「支那」という言葉がイヤなのではなくて、「満州」国籍なんだから、「満州人」と呼んで欲しい、という意味ではないでしょうかね。日系アメリカ人に対して、アメリカ人が「日本人」と呼べば、それはウレしくないでしょう。
シナの語源って、チャイナから来てるのかと思われます。それが、なんで蔑視になってしまったのか、あるいは蔑視と感じてしまうようになったのかワカリマセン。
東夷の化外の民の子孫としては、はなはだ勉強不足で、恐縮の限りです。
1.pub男様、
ああそうか、満州国の支那人の話か。
支那という言葉は蔑視ではありません。寧ろ外国人に自分達の国を「中華」「中国」と呼ばせることの方が蔑視です。現に中共は欧米には「支那」と呼ばせているのに日本にだけ差別的に「中国」を強制してきます。
但し、明治以降の時代背景、特に支那と支那人の実態が日本人に知られるようになると、日本人の驕りも加わり支那と支那人を低く見る、つまり蔑視するようになりました。それが定着して品という言葉自体が蔑視した言葉のように思われる様になったのでしょう。考えてみれば差別語なんて皆そんなものです。片輪、目盲、日雇い人夫等々。今じゃ、「身体障害者」なんて言葉も蔑視した言葉と化してきやしませんか。最も最初から差別する為に作られた言葉なんだから当然でしょうが。
日本をJAPANとするのはjapanが「日本」という漢字の英語(独語)読みなのでまだ良いですが、フィンランド=スオミ、ドイツ=ジャーマニー、サクソニー(だったかな?)等、外国語では自分達の国名を全く異なる言葉で表現される国はいくつかあります。でも、それらの国々が一々文句を言っているという話は聞きません。要は支那人は器が小さいのです。或いはやはり、日本を蔑視しているのでしょう。
>日本のネット社会の一部もいい加減子供のようなことをするのはやめなければいけない。
記者さんも中国語読めるのなら、中国のネットサイトで、「小日本人」なんて言葉がどれだけ頻繁に使われているかご存じないんでしょうか。ああ、化外の民なんだから、しょうがないということなんですね。失礼しました。
語源やいきさつがどうであっても、「支那」という呼称が蔑視の感情を込めて使われ、それを中国側が嫌っていた事実があります。戦前、戦中には使われていましたが、現在わざわざ支那と呼ぶのは露悪的な感じがして好ましくありません。
支那は「秦」に由来するCHINAの漢字表記でしょう。古くはインドでもチナと呼ばれ、仏典にも記された表記ですが、一貫して外国人による中国呼称であって、中国人は支那と自称していません。
中国人の自称として華夏や中国が古くから使われました。しかし「中国」は「天下の中心」という意味であって地域名称ではありません。中華思想の影響下にあったアジア地域では、ベトナムがインドシナ半島において「中国(東南アジアの中心)」と自称し、日本でも明清交替で「日本=中国論」を唱えて中国を自称した儒学者があります。中国では通常は王朝名が使われてきました。
幕末から明治にかけて、それまで漢や唐あど古代王朝名で呼んできた清国地域について、欧米に倣いCHINA=支那と呼ぶことが一般化します。このときは蔑称ではなかったでしょう。一方、清国の留学生も「満清の臣下」を意味する清国人を嫌い、当時の日本に倣って支那人と自称することがありました。石原慎太郎が言う「支那は自称」というのはこの辺りの事情ではないでしょうか。
しかし、辛亥革命で中華民国が成立したとき、日本政府は承認にあたって中華思想を体現した国号に難色を示します。そこで、公式文書で中華民国と表記する場合を除き、国内向けには支那を用いました。明らかに中国側の自称・中華より支那を低く扱った感じです。
1930年に中国国民政府の要請を受けた日本政府は「中華民国と表記し、略称は中国とする」旨を閣議決定しますが、その後の戦争と中国蔑視が激しくなるなかで支那の呼称は蔑視の意味を強く含んで軍民の間で使われ続けました。
1946年、戦勝国となった中華民国は日本政府に対して支那呼称の禁止を強く要求、それに応じて日本側も支那を蔑称と認め、その使用を禁止した、という経緯があります。
欧米との関係と異なり、中国も日本も漢字を用いる以上、自称の中国を認めずに支那が使われることは馬鹿にされている感覚があるでしょう。日本に向かって韓国の反日人士がわざわざ「倭」と蔑称する感じが近いでしょうか。
いかに相手国に反対する意見を有していても、蔑称であざけるのは大人げない態度だと思うので、やはり使わないほうがよいと思いますね。
《中国のネットサイトで、「小日本人」なんて言葉がどれだけ頻繁に使われているか(3.pub男様)》
あー、「小日本人」ね…。
「小日本人」は明らかに日本人を蔑視した蔑称ですが、「支那」「支那人」はかつて彼等自身が自国を表す言葉として作られたものです。「支那」という言葉も「支那人」という言葉も蔑称ではなく、当時多くの日本人が支那や支那人を蔑視しただけの話です。支那人を指しての蔑称としては「チャンコロ」とかがあったんじゃなかったかなぁ。
国名が中華民国になっても日本がその名称を使用しようとしなかったのは「中華」という国名自体が他の全ての国家を蔑視する言葉だったからです。
また、Chinaの邦訳は「支那」か「秦」であって、「中国」と訳すのは意訳ですね。因みにKoriaも「高麗」であって「朝鮮」でも「韓国」でもありません。
辛亥革命の思想的立役者となった革命家・章炳麟による「中華民国解」では、満州族の支配を駆逐した中華の範囲を古代漢朝の時代に郡県制の敷かれた地域と規定しました。そして、中華が絶対回復すべき地域として楽浪郡のあった朝鮮半島や交址郡のあったベトナムを挙げ、中華文明に親しむ開化された地域だとしています。
一方、モンゴルやウイグル、チベットは古代に郡県制が敷かれたことのない外地であり、中華文明に従わない蛮族として「独立でも好きにさせるがいい」と述べていました。
しかし、中華民国が成立すると、国際関係上清国の旧領土を保持するのが精一杯であり、朝鮮やベトナムに変わってモンゴルやチベットとの一体感を協調するようになりました。
このことは、現在着々と進められている中国による北朝鮮の傀儡国家化が、古代の楽浪郡の再現として興味深いところだと感じます。あるいは「東北工程」もこうした意図で進められたプロジェクトでしょうか。
>3、5
まあ、罵り言葉の豊富さでは、日本語は中国語に絶対かないません。
中国人同士の方がよほどえげつない言葉を使って喧嘩していますからね。
「小日本って言うけど、背高いのね」などと中国人は平気で言ってきますが、悪気はなく単純に興味本位で言うだけだったりします。そもそも人道的に言ってはいけない言葉、という感覚は少ないと思います。よく考えられた優れた漢字表現も多いので全て蔑称ではないのですが。
日本人は深く考え込んだりダメージを受けたり、ナイーブすぎますからね。
最近、中国の経済成長に伴って労働者不足に陥った広東省辺りには、なんとアフリカから出稼ぎに来る不法労働者がおり、アフリカ向け(盗品含む)輸出業者から成るアフリカ村を作っている地域もあるそうです。
そのアフリカ人を指していう蔑称が「黒鬼!」
やはり中国語にはかなわないと思います。
4.青木岳要様、
ああ、被ってしまった。それも先により詳しい御解説を・・・。
仰ることはよく理解できますが、私は彼の国を「中国」と呼ぶのには抵抗を感じます。理由の一つは前のコメントで挙げているとおり、「中国」と相手に呼ばせること自体が相手に対する蔑視に他ならないからです。今ひとつは、日本に「中国」という地方名があるからです。日本の中国の場合は近畿と西国の間の(中間の)国という意味でしょうが、文字も発音も同じです。他の呼び方が存在し、しかもそれが世界標準であるのにその様な言葉をわざわざ使用することに合理性を感じません。
因みに、此処では話の流れ上「支那」を使っていますが、普段は(いつもの私のコメントを見て頂ければ判るでしょうが)「中共」と私は読んでいます。《中国では通常は王朝名が使われてきました。》と同じ発想です。
ところで、海の名前は「東シナ海」「南シナ海」と公式にも言っていますよね。此処にも矛盾があります。中共の言分は一貫性も合理性も無く、日本人にだけ押し付けるのはそこに蔑視感があるからです。その様な要求に従うこと自体に問題があると思います。
韓国人が良く使う「倭」ですが、私自身は特にどうこう思いません。使いたければ使えばよいのです。日本人自身も「和」「大和」と称していますからね。ただ、彼等は「倭」ではなく「倭奴」と言います。これは「小日本」と同様に明らかな蔑称です。こちらに気を使わない連中に一方的に気を使う必要は無いと思います。
『支那(シナ)』が嫌なら『茶稲(チャイナ)』にしよう。
茶も稲も中国から伝わったリスペクトとして『茶稲』なら文句ねーだろ!
ネットから『茶稲』表記の運動盛り上げますか。
>4
うーん、いつもながら解りやすい。ありがとうございます。
>人間関係においても、国家関係においても相手をどう呼ぶかは相手の立場を尊重しているかどうかが分かる最初の一歩である
この記者がどこで「シナ人」という書き方を見たのか知りませんが、
蔑称で表現されているようならそれは正しく中国人を軽蔑しているのでしょう。
軽蔑している人間を軽蔑しているように表現しているのです。
たとえばこの記者の書く記事のように、日本は簒奪者、中国は無辜の民などという幻想に浸っているから「馬鹿じゃないの?」と、思わず中国様に対する軽蔑心から蔑称が出てくるんじゃないかしら(シナ人なんて蔑称のうちには入らないと思うけどね)
一部のために中国人全体が変な人だと思われるのは本当にお気の毒だとは思いますが、まずは地道に現実を見直す事から始めればいいんじゃないかしら。
「日本鬼子」なんて、強そうで何だかカッコイイんですけど、悪口みたいですね。
まあ21世紀だし、ステレオタイプな悪口・蔑称の言い合いもいかがなモノかと思いますが、「日本人は、中国人を差別している!蔑視している!反省しろ!反省しろ!」というのは、いい加減うんざりです。
相手が嫌がる呼び方で、必要に言い続ける。その神経はどこから来るんだろうか。
相手を怒らせる、相手に喧嘩を売る時の常套手段です。
私はカネ持ち喧嘩せずです。相手が嫌がるいいかたは言いません。
言葉は、一面で現実の反映である。
かって貧しかった中国は、急速に豊かになっている、
逆に日本は、貧しい人が急速に増えている。
製造業の海外進出が止まらない。
我々の孫は、中国に出稼ぎに行くことになるでしょう。
風間陣の孫が中国に出稼ぎに行けば、どう呼ばれるか、興味深々である。
>孫が中国に出稼ぎに行けば、どう呼ばれるか、興味深々である。
・
なんだかこのフレーズがお好きなようだけど、「出稼ぎ」に蔑視的な言い方を感じるので、感心しないな。
どうでもいいことだけど、「小日本」てのは、たしか日中戦争のときの日本の自称「大日本帝国」からきたんじゃなかったのかな。
「china=シナ」が「陶器」を指すのと同じく、「Japan=漆器、うるし」の意味だけど、国名を「うるし」に変えるのっても今さらなあ。
「日本」自体、「我が国は中国の東側です」という意味しかないから、「日本」という国名自体がもう中国中心的だと思うのですが。
「わ」という音での自称があったようですね。それに「和・倭」の二つの漢字があてられました。後者は「人にゆだねる」の意味しか分かりませんが。
とにかく大国様、音しかない言葉には軽蔑的漢字を当てるのが趣味なようで、「邪馬台国」「卑弥呼」なんてのもそうですね。「ひみこ」なんて「姫巫女」の意味にも思えるのですが。やっぱり近所げんかも楽しい。
私にとっては、言葉の問題はあまり気にしない。
日本人がアメリカでジャップと言われても、全く気にしない。
ただ、石原のような人物がシナと執拗に、中国に喧嘩を売る時の
精神状態には興味がある。
石原都知事も最近は元気がないようですね。
中国に喧嘩を売るエネルギーがもう残っていないのでしょうか。
そりゃ、そうでしょうね。喧嘩を売るときに、内を固めておかないと
いけないのに、都政の批判の嵐ではね。
内と外の両側に敵が一杯では元気がないのも当然でしょう。
これを、中国の諺で四面楚歌という。
>15
倭の「わ」は「われ」のわでしょうね。漢~三国時代の中国人が日本に来て、「あなたの国は何という名か?」と聞いたとき、「われわれ」と答えたので「わ」になったと。邪馬台国時代の狗奴国とかは、「あなた」とか「汝」の「な」でしょう。
アイヌも「人間」という意味だといいますし、国や民族の他称なんてこんな感じで付けられたのでしょう。
>16
米国内の野球の試合を「ワールドシリーズ」とか言ってのける感覚に違和感を覚えませんか?ここのコメント欄では、中華思想はこうした自国中心主義を他国に押し付ける感じがあるよなあ、と複数の方が言っています。まあ、もちろん自称はどうでも関係ありませんし、あからさまな蔑称はいけないのは全員の方が言っていることですよ。
青木紘一さんは、米国が「アメリカ」という一イタリア人に由来する国名をやめて「ジ・セントラル・オブ・ワールド」とか自称し出しても違和感を感じませんか?
中国が世界の中心だとは、私も、ほとんどの日本人も思っていない。
中華は世界の中心だという価値観があったにしても、人が思っていること
を、そうではないというのも、野暮でしょう。
中国には、太古の時代から、多くの国の興亡があり、揚子江、今は栄えている海岸沿いにも
多くの民族、部族がありながら、全て滅亡して、黄河流域の文字を持った国、部族が残って、今の中国を構成している。私は言葉には無関心な半面で、言葉の力、威力を認めざるを得ない。
日本も、漢字がなければ、日本の文化もない。
漢字がなければ、今の日本は、アフリカ、インドネシアのジャングルの生活が続いていたでしょう。
追記:
どうもご教示ありがとうございました。
「障害者」は「障碍者」とも書かれたりしましたが、漢字の難しさもあって、「障がい者」と真ん中をひらがな書きにする方向のようです。
それから「養護学校」は「特別支援学校」らしい。
「シナ」ということばもネットでよく見られるようになりましたが、中国が列強の侵略の中でズタズタにされていた時の呼び名をことさら使うことは、相手の痛みに対する想像力が欠けているように思います。言葉狩りではないか、内実が変わるのか、という難しい問題も含んでいるように思いいますが、言葉は汚れるもの、という感じを少し持っています。
まあ、これも本人の自由で自分の思想表現だとは思いますが。
石原さん、金持ちケンカせずじゃなくて、金持ちとはケンカせずのようですね。
最近北朝鮮に加え、お魚くらいしかないからいいやと思っていた竹島、アフガニスタンあたりでもレアメタルが見つかったようですね。どうなることやら。
まあ、中国や中華という呼称にあからさまな中華思想(の脅威)を感じられなくなって、周辺国たる日本が中国や中華の自称を受け入れられるようになったといえるのかもしれません。
清朝までの中華思想全盛期の中国は、それくらいの政治的、文化的、経済的重力がある超大国だったのでしょう。辛亥革命時に「中華」の国号をつけたとき、日本政府は「おいおい冗談じゃないぞ、再び華夷秩序に組み込む気か」と考えたのかもしれません。だから中華思想からニュートラルな「支那」の呼称を用いたのでしょうが、辛亥革命後の中国の内戦期と日中戦争で中国の権威が落ち、「支那」は蔑視の対象に変わっていきました。
戦後も長く中国は政治的、経済的に孤立し低迷したので、かつて東アジア世界に影響を及ぼした中華思想は忘れ去られました。こうして、現在において中国と呼称して何ら違和感のない、ただの国号に感じられるのだと思います。
現在の国際関係において、いかに中国が台頭する過程にあるとはいえ、過去の華夷秩序を持ち出して「中国は中華思想を体現した国号」というのも時代錯誤でしょう。一方で過去の中国蔑視の時代を象徴する「支那」をわざわざ用いるのも相当に時代錯誤であり、露悪的であって使わない方がいいと考えます。
それから、中国の主要民族である漢民族は、日本の大和民族と同じで東西南北の多様な民族が融合したハイブリッド民族です。漢語を話し(漢字を書き)、儒教の礼の規範に従う者は全て古代東アジアのグローバルスタンダードである中華文明に融合したものとして、漢民族を形成していったのです。決して漢民族という主体があって、力ずくで周辺民族を滅ぼしていった訳ではありません。
たとえば、古代夏商周代ではタイ系稲作民族(タイ王国の直接のルーツは雲南省、さらには長江流域にあるとされる)から西方遊牧民族へと文化の担い手が変わっています。いろいろな要素が集合して、統一国家秦の誕生を契機に漢民族になっていったのでしょう。
さらには多民族な唐代、中華文明の型が完成した宋代、モンゴルによってシャッフルされた元代、現代中国の原型となった明代、再び征服王朝が支配した清代を経ていまの中国につながります。どれが本当の中国か、なんていえませんね。
>東西南北の多様な民族が融合したハイブリッド民族です。
かって日本軍が侵略した国では、日本の姓を強制するとか、日本語を強制した。
そうゆう強制は、中国の場合は、やってこなかった。
だから、中国語でも北と南では話し言葉が違ってきている。
民族の融合は、中国のシンボルである、龍に象徴されている。
太古の時代には、鳥、魚、蛇、イノシシなど実際の動物がシンボルであったものが
融合によって、現実にはあり得ない、現在のドラゴンになったという話である。
東京教育委員会のように、些細なことを生徒教師に強制するようでは
反発を招く。東京都教育委員会も東アジアの民族の融合の実態を、もっと
勉強すれば、正しい教育行政が可能でしょう。
これを中国の諺で、温故知新という。
>21
いやいや青木紘一さん何をおっしゃるやら。東アジアの歴史を知らないですね。
朝鮮半島やベトナムの人がなぜ中国風の一字姓二字名を持っているのですか?朝鮮半島では新羅が唐朝の援軍を借りて統一国家を作ったときに、それまでの民族風の名前を捨てて中国風に変えているんですよ。
李朝朝鮮は高麗武将・李成桂のクーデターで建国した際に、明朝から「高麗は明朝に逆らったから国名を変えよ」と言われ、「朝鮮」と「和寧」の二案を奏上して、中国に国名を決めてもらった経緯があります。
「儒教の礼に従う」というドグマは非人間的だと前に述べましたよ。
日本は中国に近すぎず、歴史上儒教ドグマの洗礼を受けずにラッキーだったのです。
日本がポツダム宣言を受諾するとき、日本の国体にこだわった。
天皇を守れれば、受諾が可能だった状況であった。
中国も、その国体にこだわるのだと思います。
中国風の一字姓二字名も一部の人たちだけに強制されたのではないでしょうか。
国体、メンツの問題だったと思います。
韓国も漢字の使用をやめて、ハングル文字を公用語に使い始めた事を
今では後悔している人たちがいる。
漢字文化がそれだけ優れたものであるということの表れのようですね。
ま、漢字は強制されたのではなくて、自主的に輸入した違いはありますが。
日本で金融関係の書類に、誤字脱字があると、訂正して、訂正印を押さなければならない。
間違いは直さなければならない。それは分かる。しかし、どうでもいいような事まで、直させられる。
例えば、字体の跳ねてあるところが、跳ねてないとか、シがツに見えるとか、プレビュー等のように
最後のバーは省略できるようなものとか、、多の漢字の上下の位置がおかしいとか等である。
アメリカの場合だと、数字を間違えても、線を引っ張り、訂正すれば、それで済む。
アメリカの場合は、誤りを訂正するチェック体制が、システム的に行われている。
買い物をした金額に誤りがあれば、経理のクロスチェックで誤りが発見できるように
なっている。政治家の不正も日本に比べれば少ない。
日本ではシステムで、不正、誤りを発見しなければならないのに、やたらに財務省の
規則通りにやっておればいいのだという風潮がある。これなどはまさに儒教ドグマの典型である。
そのくせ、日本では消費税未納率が非常に高い。また世界では、食料品、医療費、教育費には消費税がかからないのに、日本では財務省がめんどくさいからと、システム変更を嫌がっている。
儒教ドグマにおかされていると、住民のための、国民のための行政がおろそかになり、日本経済の
停滞の一因にさえなっている。
儒教は身分秩序を確立して平和を保つ思想です。名前にも儒教を受容したかどうか現れます。
中国風の一字姓二字名の姓名には細かいルールがあります。
まず本貫、いわゆる本籍ですが、先祖の出身地あるいは墓を祀る場所です。本貫愛知県どこどこの青木氏というのが一族を示し、先祖祭祀を司る本家が中心になります。有力な一族になると会館を持ち、資産を運用し、親戚の有望な子どもに学資援助を与え、事業に資本援助します。成功者は稼いだ資産を独り占めせず、援助してくれた一族に恩返しします。美談ですが、儒教圏で親戚がらみの不正が絶えない原因でもあります。
姓は父親から受け継ぎますが、本貫が同じ同姓の人は親戚であって、結婚は近親婚と見做されてできません。
次に名前ですが、二字名のうち一字は決められています。一族を記録する家譜・族譜という書物があり、いわゆる家系図ですが、そこで第何代が使う文字はどれ、というルールが決められています。そこで、知・仁・義・勇・・・など、名前にどの文字があるかを見れば、その一族の何代目に当たるか分かるのです。
代を経て一族が拡大するうちに、早婚・晩婚などにより同世代の親戚でも何代目なのか異なってきます。面白いのは、一族の長幼の序は年齢で決まるのでなく、代の古い方が尊敬を受けるのです。だから、お爺さんが親戚の子どもに礼を尽くすケースも出てきます。
こうした名前のルールは中国・韓国・ベトナムも同じです。中国では旧弊な儒教秩序の打破を目指した毛沢東と共産党の無茶な文化大革命により、数千万人の犠牲者と引き換えに伝統的な家譜は消滅しましたが、韓国では特に根強く残っています。
こうした序列ルールの積み重ねが儒教の礼であり、これを受け入れることで文明人として中華世界に組み入れられるのです。儒教は普遍的な価値ですから、そこでは民族の違いなどを問題とされませんが、こうした秩序が無限につみあがって中華世界の「天下」ができている、と考えた方がいいでしょう。
日本は中華世界に接しつつ一方でずっぽり足を踏み入れなかったので、儒教を「道徳」としか受け止めませんでした。それで、生活全てを規定する儒教の本当の意味が分からないのでしょう。
13.《相手が嫌がる呼び方で、必要に言い続ける。》
支那人の中には、支那という呼称を嫌がらないで今でも使用されている方々もけして少なくはないようです。なんせ、sina.comなんてところもあるくらいですしね。
16.《私にとっては、言葉の問題はあまり気にしない。
日本人がアメリカでジャップと言われても、全く気にしない。》
ならば、気にせず自ら支那を呼称する方々に合わせ、青木紘一様も、ご自身でJAPを多用されたらよろしい。そして、併せて支那という呼称を使用する日本人にとやかく言うのもお止めなさい。
18.《中国が世界の中心だとは、私も、ほとんどの日本人も思っていない。》
それは『無知』といいます。そのことを偉そうに語るのを『無恥』と言います。
21.
《かって日本軍が侵略した国では、日本の姓を強制するとか、日本語を強制した。》
嘘も休み休みにしましょう。日本が、日本の姓を強制した事実はありません。《日本語を強制した》というのが母国語を奪おうとしたという意味であれば、やはりその様な事実はありません。
《そうゆう強制は、中国の場合は、やってこなかった。》
根拠を教えて下さい。
《だから、中国語でも北と南では話し言葉が違ってきている。》
日本でも北と南は勿論、隣の県とですら言葉が違います。
15.藤重典子様、
《どうでもいいことだけど、「小日本」てのは、たしか日中戦争のときの日本の自称「大日本帝国」からきたんじゃなかったのかな。》
あれ?『小』をつけること自体が一種の蔑称でなかったですっけ?
誰か、詳しい方、教えてくださいませんか?
《「china=シナ」が「陶器」を指すのと同じく、「Japan=漆器、うるし」の意味だけど、国名を「うるし」に変えるのっても今さらなあ。》
それは逆でしょう。国名が物の名前になっただけです。みかんのことを英国では『サツマ』というそうですが、それも同じですね。日本でも「伊万里焼」とか「瀬戸物」とか言うじゃないですか。
それともアメリカという国名は「薄い」とか「多い」とかいう意味なんですか?
《「日本」自体、「我が国は中国の東側です」という意味しかないから、「日本」という国名自体がもう中国中心的だと思うのですが。》
これも違うのではないでしょうか。『日本』の起源は聖徳太子が隋に出したという書簡の「日いずるところ」と同じ発想だと思いますが、彼の書簡では隋のことを「日没するところ」としていますよね。「我が国は中国の東側です」ではなく、「我が国は東、支那(隋)は西」という意味で、中華思想からは決別しています。
《「ひみこ」なんて「姫巫女」の意味にも思えるのですが。》
「卑弥呼」に関しては「日巫女」であるという説が主流だったと思います。でも、日巫女より姫巫女の方が萌えますな(^^;
28 風間様:
「小日本」はウィキにありました。日中戦争以前はほとんど使われてなかったけど、大日本帝国への抗日機運とともに一気に広がったとか。「小」は名詞のまえにつくと若さ、可愛らしさなど示しますが、「日本」の前につくと一気に蔑称です。
隋に対する国書をどう読むかは意見の分かれるところです。煬帝激怒のようでしたが、「日没の国」なんて言われて愉快とは思えません。正式には702年に遣唐使が国号を唐に承認させたということのようですが、730年あたりに太宗が気の毒がって「遠いから毎年来なくていい」なんて言ったそうです。
JapanもChinaも「地名先行がなまったもの」でしたね。「中国」が問題なら、「日本」はどうなのか、という軽口みたいなものですが、国名由来について少し検索しました。
アメリカの国名の由来、アメリゴ・ベスプッチは義務教育で習いましたが、他の説も出ているようで第二次大西洋横断のRichard Amerikの名などもありました。ちなみに「アメリゴ」は古ゲルマン語で「家長」の意味だそうで、これまでならふさわしかったかな、と思いました。
卑弥呼の表記は複数説ありました。結論が出ないことはわかっていますが。
日没の国、日本も頑張りましょう。
戦国武将は元来は姓を持っていなかった。
徳川家康でさえ、松平郷の出身ということで、土地の名前を性にしていた。
そのため、戦国武将の姓は、源と平以外は二文字である。
徳川家康は9歳で孔子の教えを学んでいる。
教えた人は、今川義元の軍師であった、太原雪斎である。
徳川家康は、若くして孔子を学んだからこそ、豊臣秀吉との覇権争いを
巧みに避けて、実力を温存して、関ヶ原の戦いで天下を取ったともいえる。
現代政治の今でも、同じ政党の政治家が骨肉の争いをしている。
戦国時代も今も政治状況は混沌としている。
この時代には、しっかりした政治哲学を持っていないと、何をやっているか
分からなくなる。
孔子の教えの中で最も重要な部分は「軍信食」の中で最も重要なものは何かという
問いである。徳川家康は9歳で、太原雪斎からこの問いを投げかけられている。
徳川家康は孔子の教えのエッセンスを理解したからこそ、天下太平が250年
続いたと言える。
本姓と氏名が、ゴッチャになっているような・・・
青木岳陽先生
どうでもいいことですが17で倭の「わ」は「われ」のわでしょうねとおっしゃっていますが
私が習った話では倭は倭でなく矮が転化したものだと習いました。つまりチビという意味だと習いましたがいかがなものでしょうか。魏志倭人伝にはマツロ国とかイト国といった名もみえます。狗奴国が「な」でしょうとおっしゃられていますがそうでしょうか。
滋賀島から発見された金印には漢の倭の奴の国王と彫られていますがこの「奴」も汝のなでしょうか。ちなみにマツロは松浦と言う九州北部の地名イト国も地名であったかと思います。
矮については背が低いということは縄文人の特徴だったと思います。
稲と鉄器をもたらした朝鮮系の人々が弥生後期から多数渡海してきていてこの人たちは比較的背が高かったはずですから、そうすると背が低いということとは矛盾してくるのですがいかがなものでしょうか。
29.藤重典子様
《「小」は名詞のまえにつくと若さ、可愛らしさなど示します》
有難う御座います。ということは、蔑称としては『日本小僧』的な意味合いなのでしょうね。半島の連中が言う『倭奴』よりはかなり上品ですね。
《「日没の国」なんて言われて愉快とは思えません。》
『日没の国』ではなく『太陽が沈む場所の国』です。(日没する国)煬帝が激怒したのは日没云々ではなく『天子』という言葉にではなかったかと思います。日本が隋に対し、対等な立場に立とうとしたことに激怒したのです。日本が隋を見下したからではありません。
『中国』という言葉に拘るのも日本は彼の国を『中国』と呼び崇めるべきであって、『支那(china)』等と対等の立場で声をかけるのはけしからんという傲慢の現われに過ぎません。
《「アメリゴ」は古ゲルマン語で「家長」の意味》
初めて知りました。意味深ですねぇ。
30.
27.に対する反論は無しと。大嘘をついたことを御認め頂き有難う御座います。
31.でpub男様が、仰姓と氏の違いを全く意識していないのですね。日本の施策は「創氏改名」です。姓には何の手もつけていません。日本の戸籍法に合致させる為に氏を定めさせたに過ぎません。ついでに改名も認めただけです。これまで根拠つきで数え切れないほど論証されている(言っておきますがJANJANでもですよ)ことですね。此処まで来ると青木紘一を名乗る人物は健忘症か只のアホか所謂『荒らし』かの何れかとしか思えませんね。
で、家康と儒教の話が何だというのです? 脈絡のないことを突然言い出さないで下さい。言うなら関連性をきちんと説明してからにして下さいな。
32.山野幸一様、
《倭でなく矮が転化したものだと習いました。つまりチビという意味だと習いましたがいかがなものでしょうか。》
所謂魏志倭人伝で倭人がちびであったという表現があったでしょうか? 後に日本で漢字が普及してからは自称を『和』としたことからも、例の金印のことからも素直に『倭』の方が正しいような気がしますが、如何なものでしょうか。
>30青木紘一様
あまり得意がって浅学を晒されると大恥になりますので、気を付けたほうがよいかと思いますよ。
日本の歴史上の氏と姓と名字は意味が違います。
松平家でいえば、氏:源、姓:朝臣、名字:松平です。もっとも松平家は賀茂氏から清和源氏に転じたもので、家康は一時藤原氏を名乗った時期もあるといいますから結構いい加減です。
「氏」とは血族集団をいいます。「姓」は天皇が公家に与えた序列です。平安後期には氏と姓は混同され、また有力貴族の源平藤橘の四姓に集約されていきました。
武装農民から台頭した武士階級も、権威付けのために源平藤橘の公家との血縁関係をアピールします。まあ、公家に金を積めば家系図なんてどうにでも捏造できたでしょう。
しかし例えば武士の名門・清和源氏ばかり増えても混乱を来たします。そこで、武士が何より大切にした所領地の地名を名乗って区別しました。これが「名字」です。
ちなみに、江戸時代の庶民は名字がないというのは俗信で、本当はあったのだけど、武士に遠慮して公式に使用するのを憚っていた、というのが真相らしいです。
一方、古代中国の「姓」は女系血縁集団を指し、「氏」は周王朝が序列化した男系血縁集団を指します。これも混同され、春秋戦国時代に庶民にまで広がります。統一国家・秦の時代に整理統合され、現在の姓(男系)になったそうですね。
>32山野幸一様、35風間陣様
清水義範のパスティーシュ小説「偽史日本伝」に「倭は『我』のわであろう」という説があって、なるほどと思いました。「歴史言語学と日本語の起源」というHPでは詳しく説明されていて参考になります。
古代中国による周辺異民族の呼称は基本的に各民族の自称に漢字を当てたもので、例えば北方遊牧民族「突厥」はトゥルク(トルコ)を音で表しています。
「倭」は「われわれの国」という意味、「和風」は「われわれの気風・風習・あり方」、「和食」は「われわれの食べ物」になるでしょう。
「倭」には「背が低い」という意味があり、昔から中国人は日本人を小柄だとイメージしたようです。知り合いの中国人は「日本人は始皇帝が徐福に随行させた五百人の童子の子孫」だから「小さくて賢い」のだと教えてくれました。中国ではそういう伝説があるそうです。それが蔑称になると「小日本」になるのでしょう。
古代日本人は「倭」を嫌って「和」としたのでしょうが、古代中国語でも「わ」に対応する音が「和」ではありません。「和」は語頭にハの濁音が付く音のため、中国人は「わ」に対応すると思わなかったようです。
古代の北九州と朝鮮半島南部は同一民族という概念があったかどうか分かりませんが、同質性の高い地域だったと思われます。これは朝鮮が本家とか、日本が支配した、とかいう後世ナショナリズムで言い争う性質のものでなく、文化や習慣が似たグループが小さなクニを作って広がっていたのでしょう。魏志倭人伝の時代です。
北九州から西日本にかけての地域はクニが連合して、部族連合の大和朝廷を作りますが、統一国家と呼べる状態ではなく、聖徳太子などが渡来人の技術や仏教を取り入れて中央集権化しようとしました。それでも蘇我氏や物部氏など新旧勢力の豪族たちが大王(オオキミ)より力を持っていたのです。
その頃、中国大陸では南北朝の分裂時代が終わって超大国・隋朝が誕生します。短命王朝の隋を継いだ唐朝もぐいぐいと東アジアに覇権を及ぼし、朝鮮半島や倭国を脅かしました。倭国は朝鮮半島の百済と高句麗と結んで唐の覇権に抵抗します。一方、朝鮮半島の新羅は唐と同盟して百済を滅ぼしました。
倭国と百済は深い関係にあったので、倭国は百済救援に出兵し、663年白村江で唐・新羅連合軍に大敗します。倭国は唐の侵攻に恐怖し、急いで当時としての近代国家建設を迫られます。
白村江の日本兵は阿倍比羅夫が奥州の蝦夷を征服して捕虜にした奴隷兵でした。士気は上がらないのは当然です。そこで律令制施行による中央集権化、王都の内陸(近江)遷都、瀬戸内海に朝鮮式要塞を築いての防衛網と共に防人を徴兵して侵攻に備えます。
これらは百済の亡命王族や知識人・技術者を動員して行われ、「唐の侵攻に対する恐怖」という外圧の前に瞬く間に天皇の支配下にある律令国家が完成しました。その間には古代最大の内戦・壬申の乱もありました。
一方、朝鮮半島を制圧した新羅と唐は支配権を巡って対立したため、倭国は侵攻を逃れ、新羅とも一定の国際関係を保ち、702年には唐朝との国交回復も成功します。
こうした東アジアの大動乱の中で、海峡をはさんだ朝鮮半島との一体的なつながりは分断し、日本と朝鮮は民族的にはっきり分かれます。
この663年~702年の間に、倭国は唐に対抗(自立)できるだけの国家の体裁を整え、日本の国号や天皇の称号を作り、正統性を立証する日本書紀を完成させます。これが現在につながる「日本」成立の過程です。
百済も新羅も倭種王国だったという室谷克実氏の『日韓がタブーにする半島の歴史』は、なかなかの怪著。朝鮮日報や中央日報あたりの韓国人記者が読めば、火病ルこと間違いなし。
青木先生
中国人は中華思想から周辺諸民族の名称についてわざとけもの偏や汚らしい印象を受ける名称をつけたのではないですか。たとえば鮮卑とかマッカツとかといったものです。突厥は
おっしゃるようにチュルキィですがこれはむしろ例外的なものと考えますが、いかがでしょうか。
風間様
確かにおっしゃるように倭と言う文字が魏志倭人伝にも一貫して使われています。顔にに刺青をしたげい面とか貫頭衣を着ていると表現はありますがチビといった表記はなかったはずです。金印も倭の奴の国王印と刻んであります。矮と言う文字は中国の歴史書にはには有名な倭の五王の記述のある南朝の宋書にも倭とでています。そういった点ではおっしゃるとおりだと思います。中国ではありませんが朝鮮でもたとえば石上神宮の七支刀の象嵌文字も確か倭王とあったはずです。なぜ矮と言うことを青木先生に質問したかといえば日本原住民たる縄文人の(古モンゴロイド)の特徴が背が低かったこととわざと中国人が周辺民族名を野蛮や汚らしいものをイメージさせる文字をあてていたという記憶があっただけのことですだけの事です。それで青木先生に質問させていただいたようなしだいです。
>40山野幸一様
基本的に音は各民族の自称に対応し、漢字は中華思想を反映して付けたものではないでしょうか。ただ、隋朝も唐朝も、三国志の時代の終わりから続く南北朝の中国分裂時代の北朝を継承するものであり、北朝とは五胡十六国というように異民族王朝です。
唐の李王家も鮮卑出身ですから、ことさら蔑称を付ける訳でもないとは思います。特別汚らしい漢字を付けられた民族は、中国との関係が悪かったのでしょう。
唐朝が外国人を積極的に登用し、文化的にもコスモポリタンだった背景には、キャラバン貿易などを担った遊牧民族の伝統が朝廷内にあったからだと思います。
また、三国時代を統一した晋朝が八王の乱などで大混乱すると、漢朝の生き残り劉氏は北方遊牧民族の地に幽閉されます。劉氏と遊牧民族の可汗が婚姻して鮮卑の北朝になった事実があるそうで、隋や唐は漢と遊牧民のハイブリッドだったようです。
政治評論家の森田実氏はよく孔子の言葉を引用する。
例えば、http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C06786.HTML
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(孔子)
これは儒教の教義の解説ではない。
孔子の政治哲学の解説である。
すなち、日本では孔子イコール儒教ではない。
徳川家康が、9歳で孔子の言葉を学んだと言う話は、
彼には政治哲学があったということの、例証である。
>42青木紘一様
ようやく理解していただけたようです。
儒教にしろ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にしろ、あるいは共産主義にしろ、ドグマ(教義)を受容して従うことで「文明化された人間」となる普遍的原理です。
人間は生まれながらでは「野蛮」であり、ドグマに従い教化されることで「文明」になる、という考え方でしょうか。幸か不幸か日本ではそういう「教化」される環境になかった。明治から「天皇制」で教化が試みられたが、やはり日本人には無理があったのではないでしょうか。
でも、ドグマに「教化」される環境にないことが、日本人の欧米や中国・韓国理解を妨げ、外交下手にさせている原因かもしれませんし、日本人は普遍的な絶対原理に従うのでなく、全て相対的に周囲の「空気を読んで」行動させ、現在のような首をすくめるような閉塞状況に陥れているのかもしれませんね。
ドグマとは、周りの人間は、原始的で馬鹿だと言う、思いあがりを前提にしている。
西欧の近代、16世紀後半、織田信長時代の宣教師の記録をみると、「日本人は不思議なことに
2本の木を使って食事をしていた」とある。その時代、西欧人はまだフォークもナイフもなかったから、庶民は手づかみで食事をしていた。
東大にマル経講座が昔あった。
これも、東大がマルクスレーニン主義のドグマを教えていたのではなくて、
学問としての「資本論」を教えていたということである。
その結果、社会主義的資本主義が成立して、総中流社会が実現した、幸福な時代もあった。
青木岳陽様、山野幸一様、有難う御座います。勉強になりました。
《劉氏と遊牧民族の可汗が婚姻して鮮卑の北朝になった事実があるそうで、隋や唐は漢と遊牧民のハイブリッドだったようです。(41.青木岳陽様)
数年前に読んだ本で、書名も著者名も忘れてしまい、申し訳ないのですが、大陸の歴史を遊牧民の立場から考察した本がありました。その本の趣旨は「大陸の歴史は文字を持つ漢民族(中華)に都合の言い様に解釈されている」というもので、「歴代の支那王朝についても漢の皇帝自身が匈奴の捕虜になって以来、歴代支那王朝の正統は劉姓というよりも匈奴王の血を引いているかの方が問題であった」という様な旨の内用だったかと思います。目から鱗が落ちるような思いをしました。
16世紀以前に中国へ行った西洋人は、中国人が箸使って、食事していることに気が付かなかったんですね。あとマル経講座って東大しかなかったんだっけ?そもそもマルクスレーニン主義とマル経って普通に結びつくのかな。資本主義修正的な役割が大きかったような・・・