柔道と人間教育 ~試合会場から~ (前)
前回記事「嘉納治五郎と柔道ルネッサンス」
⇒ http://www.janjanblog.com/archives/14009
世界柔道選手権大会が始まった(13日まで)。柔道発祥の地・東京での開催は52年ぶりということもあって、テレビ放映をはじめ大きな盛りあがりだ。
記者は〈学校等での柔道死亡事故〉や〈中学校での武道必修化〉について取材を重ねているが、その中で、世界的スポーツとして広まっている柔道に関してある危機感を抱くようになった。それは西洋的スポーツとしての「Judo」やメダルの個数のみに注目が集まり、嘉納治五郎が唱えた「教育の手段としての柔道」が忘れ去られているのではないかという危惧でもある。以下、記者が複数の試合会場で見かけた実情を報告する。
◇
「脚下照顧」とは、もともと禅宗の言葉であるが、剣道、柔道をはじめ武道関係でもよく耳にする。「剣道6段が語る〈柔道〉指導のあり方」のインタヴュー記事(下記)でも、八本教諭は、次のように「脚下照顧」について語っていた。
――「履き物をそろえて脱ぐ」というのは、あくまでも一つの例で、履き物さえ揃えられればそれでよいということではありません。「履き物をそろえる」ということは、「自分の立ち居振舞いを正す」ということです。それは、相手への配慮、思いやりを示すことであり、武道がねらいとしているところは、そうやって相手へ敬意を払い、礼節ある行動をお互いにすることで、世の中のいがみ合いや余計な摩擦を少なくしていくという側面もあります。学校での〈武道必修化〉も単に技能の習得だけではなく、武道教育の本来の主眼、つまり、日々の稽古を通じてわが身を正していくといったことも生徒たちに意識させることが必要でしょう。〈脚下照顧〉とは、相手の立場に立ってものを考えるということでもあります。(以上引用終わり)
柔道の世界的普及の陰で、人間教育としての側面が忘れ去られているのではないかと危惧する声は、柔道界内部からも聞こえてくる。〔注1〕
「今や柔道は、世界に普及発展し、競技面ばかりがクローズアップされ、勝負に勝つことのみに価値が求められているように感じられてならない。
嘉納治五郎師範の柔道の魅力は『一本で決める』という気魄(きはく)と技の冴えであり、それに勝っても驕(おご)らず、負けても挫けず、常に相手を尊重し、敬意を表す礼法があることだと思う。
我々柔道指導者は、嘉納師範の『人間教育』を目的とした柔道の原点に立ち返り、柔道の普及発展に寄与する責任と使命があることを忘れてはならない。」
(鹿児島県柔道会会長・北哲郎氏 2009年2月)
「今こそ、嘉納治五郎師範が説かれたか〈精力善用〉〈自他共栄〉の教えを生かすときだ。柔道で勝つことだけでなく、将来、各分野で社会的使命を全うできる人材を育てなければ日本の未来はないと断言できる。競技者として、さらに人間としてバランスのある能力を備えた人材が求められている。重要なのは柔道を通して人としての魅力を磨くことだと考える。」
(全日本柔道連盟副会長・九州柔道協会会長 藤田弘明氏 2009年6月)
「国際化した柔道に思いを馳(は)せ日本柔道が将来に亘(わた)って世界のリーダーとして存在していくためには『強い日本柔道』を作っていくと同時に、柔道人自身が自らを律しつつ研鑽(けんさん)に励み品性を養い柔道精神の涵養(かんよう)に努めることが、今こそ大切な時であると痛感している。」
(茨城県柔道連盟会長・松廣義氏 2009年9月)
「競技に勝つことも大切だとは思いますが、我々に、柔道指導者に与えられた使命として、人間形成という観点からも広く教え、他の競技の指導とは異なる一線をもって指導した方が良いのではないでしょうか。」
(福井県柔道連盟会長・長谷川大恭氏 2009年10月)
〔注2〕
実際にはどうなのだろうか――。

〔写真A〕 撮影・三上英次 以下同じ
写真Aは、記者が何の予告もなくぶらりと訪れた講道館道場の出入口である。靴は下駄箱に整理して収められ、玄関口の床はぴかぴかに磨かれていた。その整然たる様子は、さすが柔道の大本山とも言うべき趣である。
かわって下の写真B、C、Dは、ある武道館で行われた柔道試合会場の様子だ。

〔写真B〕
壁の靴箱(棚)には余裕があるが、床の靴すべては収まりきらないだろう。框(かまち)に近いところで脱がれた革靴やサンダルの向きを見ると、誰かが文字通り「脱いだまま」に、そのまま屋内にあがって行った様子がよくわかる。次にその反対側のもう一方のあがり口を見てみる(⇒写真C)。

〔写真C〕 靴を脱いであがったところは家の玄関に当たるところだ。そこでこともあろうか、選手が横に寝そべっているのが見える。〔写真A〕の講道館玄関の床に、稽古の合間に誰かが寝そべっているだろうか。靴の散乱と選手の寝そべり、これがこの大会のレベルを見事に表している。これが嘉納治五郎の創始した柔道の現状なのだ。次回は武道館での現状を報告するので、柔道の指導者は現状を目を凝らしてよく見て欲しい。
靴の脱ぎ方は写真Bと同じような状況だ。

〔写真D〕
人の出入りもご覧のとおり。あとから来た人は、手前で自分の靴を脱いで、ほかの人の靴を踏みながら中へ入っている。
ここで思い出すのは、アメリカの心理学者ジョージ・ケリングの唱えた「割れ窓理論」だ。たった1枚の割れた窓ガラスを放置しておくことで、ほかの窓ガラスは次々と割られ、やがて建物全体、町全体の荒廃が進むという仮説だが、試合会場での靴の脱ぎ方を見ると、人間における「割れ窓理論」を想像してしまう。
もし仮に、この会場を最初に訪れた10~20人がきちんと靴をそろえて会場に入って行ったら、おそらくあとに続く人たちも、それに倣ったかもしれない。しかし、最初のひとりが、靴をそろえずにいると、「割れた窓ガラス」と同じ理屈で、次々と乱雑な脱ぎ方が増え、やがてはそれが蔓延(まんえん)してしまう。
また「悪貨は良貨を駆逐する」という格言もある。写真を見ると、全員が乱雑に靴を脱いでいるわけではない。しかし、その中の何足かがきちんとそろえて置かれてはいても、3、4割でもそろえずに脱ぎ散らかされていれば、やがては、その「脱ぎ散らかし」の状態が伝染し、最終的には、ほとんどの靴が脱ぎ散らかしになってしまう。
「割れ窓理論」や悪貨に関するイギリスでの格言を考えてみると、たかが〈靴の脱ぎ方〉であるが、そういう小さな所作・ふるまいの中に、武道を学ぶ者の姿勢や態度がまざまざと見えてくる。
◇
嘉納治五郎は当時自分が習っていた「柔術の勝負の理屈が、幾多の社会の他のことがらに応用の出来るものである」ことを悟る。そして、柔術を知育・徳育・体育に活用することが武道の望ましいありかたと考え、広くこのことを人々に伝え、利益(鴻益)を分かち合おうと決意する。〔注3〕
ここでの「柔術の勝負の理屈が、幾多の社会の他のことがらに応用の出来る」に関して、嘉納は日常のあらゆる場面で、〈精力善用〉を説き、戒めを残している。例えば、「旅館にしても料理店にしても、日本のやり方には不経済が多い」という具合だ。
「多くの日本料理店では一人の客が一つの座敷を占領し、一人の給仕女がこれにつき切りという有様である。それ故その座敷の費用、給仕人の費用は皆食物の上に加わって来るので、実際食べるものの価が非常に高くなっている」〔注4〕
その徹底ぶりは人の歩き方にも及ぶ。嘉納の弟子、小谷澄之10段(1903~1991)に「嘉納治五郎先生の想い出」という小文がある。昭和8年、小谷(当時30歳)は、嘉納の欧州巡歴に随行する。ある時、ウィーンの市街地を歩いていた時、嘉納はこう声をかけたという。
「君らは道を歩く時、随分ムダ足を使うネ、左にまわるときは、右足先を左の方向に、このようにむけて、そうして左足を進める。君らは、左に向きをかえる時、数歩、無駄足を使っておるネ、それは精力善用ではない」
武道家にとって、日々の修練と日常生活は不即不離だったようだ。〔注5〕
弟子の足の運びにまで目を向ける嘉納治五郎のことである、当然、弟子の履き物の脱ぎ方にも注文をつけていたと思われるが、さて、「脚下照顧」がなおざりにされている現在の柔道界を見た時、はたして嘉納はどんな言葉を発するだろうか――。
※文中敬称略 (後編に続く)
※後編⇒ http://www.janjanblog.com/archives/14593

〔写真E〕 8月1日に行われた全国少年少女武道練成大会(柔道)でのひとこま。次回〔後編〕は、9月5日に日本武道館で行われた「東京学生柔道体重別選手権大会」での様子をレポートする。
〔注1〕 NHK教育テレビでは「柔の道」と題して、柔道の国際化と武道本来のあり方を考える全4回のシリーズを8月末から放送中だ。案内役を務める玉木正之氏は次のような言葉で、第1回放送をしめくくった。
――現在、「柔道の国際化」というのは完全に果たされました。世界中、サッカーボールを蹴るのと同じように、子どもたちもおとなも世界中の人たちが柔道を行っているわけです。でも、これが嘉納治五郎の目指した国際化かと言うと、ちょっと首をかしげたくなります。嘉納治五郎は人格形成そして人生の道としての柔道を目指したのですが、それが果たされているかどうか、そこが最大の問題なわけです。(引用終わり)
〔注2〕4氏の発言は、すべて講道館のウェブサイト「今月のことば」からの引用である。尚、肩書きはすべて掲載時のものである。
出典 http://www.kodokan.org/j_words/index.html
〔注3〕 『嘉納治五郎著作集』(巻3、P26)
〔注4〕 『嘉納治五郎著作集』(巻2、P254)
〔注5〕 持田盛二(1885~1974)と言えば、昭和の剣豪として知られるが、その持田盛二の歩くうしろ姿を見かけた日本舞踊の師匠が、その端然とした様に驚き、どういう素性の人物か調べて来いと弟子に命じたというエピソードを聞いたことがある。
ちなみに80歳を過ぎて尚、現役の剣道選手を圧倒した持田は、剣の修行について次のような言葉を残している。
「剣道は50歳までは基礎を一生懸命勉強して、自分のものにしなくてはならない。普通基礎というと、初心者のうちに修得してしまったと思っているが、これは大変な間違いであって、そのため基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多い。私は剣道の基礎を体で覚えるのに50年かかった。」
〔関連サイト〕
◎NHK教育テレビ 「柔の道」
http://www.nhk.or.jp/etv22/tue/summary.html
◎全国柔道事故被害者の会
第2回シンポジウム「頻発する柔道事故」が9月12日(日)、長野県松本市で開催される。同会は、このあと第3回シンポジウムを12月に大阪で開催予定である。
http://judojiko.net/category/symposium
〔関連記事〕
◎「剣道6段が語る〈柔道〉指導のあり方」
(前)http://www.janjanblog.com/archives/12861
(後)http://www.janjanblog.com/archives/13209
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