歴史の狭間に埋もれた教育界の偉人・カルシュ博士
注: Wikipedia「フリッツ・カルシュ」の2011年5月9日投稿内容は本ページの記載事項もとに著者自ら投稿したものである。
大正14年より14年間にわたり、旧制松江高等学校(現島根大学)で教育に力を注いだドイツ人哲学者フリッツ・カルシュ博士の生誕から120年になろうとしている。彼は、教育者であるとともに、日本の哲学や宗教の研究家で、昭和15年から5年間は外交官でもあった。彼の薫陶を受けた著名人には「長崎の鐘」で知られる永井隆、免疫学者で日本のジェンナーと呼ばれる奥野良臣をはじめ、科学者、文学者、政治家、法律家、外交官など枚挙に暇がない。1999年以来、日本国内、ドイツおよび米国で蒐集した関連資料の永久保存のために、歴史的価値のある松江市奥谷町の旧住居を記念館として改修・復活する呼びかけを行ってきた。ラフカディオ・ハーンと並ぶ功績を残した同博士は、数多くの優れた風景パステル画、歴史的写真、それに専門著書と1万5千頁におよぶ未整理の研究原稿を残し、最近も関連図書を発見できた。戦中戦後の混乱により歴史の狭間に埋もれた、隠れた偉大な教育者、哲学者のカルシュ博士について、その足跡が広く国民に知られるよう念じている。
小生の職務である医用生体工学とは全く関係のなかったカルシュの調査を始めてから10年を超えるが、そもそも信じられないほどの多くの偶然が重なりあう中でカルシュと巡り会うことになった、小生にとってとても不思議な人物であった。彼の遺族との僅か5分間の出会いがきっかけであったからである。調査をもとにして得られた、膨大な資料から彼の当時の生活や生徒との交流をほぼ再現できたが、調査を始めて間もない頃に協力してくれた同博士の愛弟子は殆どがすでに他界してしまった。彼らの残してくれた言葉や手紙を時に想い出す今日この頃である。ドイツの文化と風土に、若き日に触れる機会をドイツから与えられた小生がドイツのシュトゥットガルトの小さなホテルでカルシュ博士の次女に偶然に出会って、このような仕事に携わることになったのは、小生に賜った天命と考えて調査・顕彰に尽力してきた。
カルシュゆかりの松江市奥谷町の「官舎」の保存と記念館への長年の呼びかけがやっと一部で実ることになった。一時は大学当局の取り壊しの決定にも拘わらず、朝日新聞社の金井信義氏との共同の保存呼びかけが文化財登録への道を開いた。昨年10月に官舎の保存修理が完了の運びとなった。調査の結果とともに、数々の新聞報道(東京新聞、日本経済新聞、産経新聞、読売新聞、山陰中央新報、島根日々新聞、朝日新聞)、NHK松江放送局の展示会、インタビュー、松江郷土館企画展示会、日独協会の顕彰記事のお陰で、やっとカルシュのことが世の中に知られるようになったからであろうか。それが、最近のNHK松江放送「しまねっと ドイツ人教師の住宅を保存へ」と進展し、島根大学による文化財登録の申請の運びとなった経緯がある。やがて小生が管理しているカルシュの遺品(膨大な哲学の未発表原稿、写真、絵画、調度品など)も広く世に公開できるものと期待している。というのも広く彼の残した足跡が全国的に確認できるからである。
カルシュには現代の教育に大きく影響を及ぼしている人智学哲学者ルドルフ・シュタイナーを日本に紹介した大きな業績がある。一般には戦後に紹介されたと言われているが、1925年に来日したカルシュ夫妻が交わした1923年当時のシュタイナーに関するノートが現存し、スイスのゲーテアヌムでのシュタイナー信奉者同士の交流も確認されている。なおシュタイナーの思想の流布については、昭和10年ごろを境にヒトラーによって禁じられたが、密かに彼は日本で広めていた。自分の娘たちにはもちろんのこと、全国的にもシュタイナー思想の実践を通してこれを広めたことが知られている。戦後これが復活して、日本でもシュタイナー学校が創られ、最近は一貫教育の象徴となっており、教育史上はもちろん、哲学史上もカルシュは重要な位置を占めていることが確かである。黒柳徹子氏が受けた教育もこの範疇に入ると思われるが、その関係は未調査である。また多くの宗教哲学者(三笠宮崇仁殿下、西田幾太郎、鈴木大拙、高橋敬視、長屋喜一)との交流も記録とともに確認されている。さらにカルシュが当時の高校生への講義のなかで、「西暦2000年頃、ヨーロッパ文明が自己矛盾から他との軋轢が各所で生じること」を語った注目すべき記録を見ることができる。
1968年に彼を慕う、かつての生徒らが発起人となって島根大学に招待したことがある。教育の荒廃が各所で声高に叫ばれているさなか、彼が教育者として ハーンとは全く別の教育の見本を残した大きな貢献と、生徒や近隣の人々との密な交友から彼の存在の偉大さを評価する必要を感じている。
カルシュの親類には1937年ショパンコンクールで優賞したピアニストであり、チェンバリストであるエディット・ピヒト・アクセンフェルト(フライブルク音楽大学教授)がおり、多くの日本人弟子を残している。また、モラクセラ・ラクナータ菌を発見し、現在の日本の眼科学に大きな影響を及ぼした世界的権威のテオドール・アクセンフェルト博士(フライブルク大学教授)がいる。なお、現在ベルリンの博物館に歴史的重要資料として厳重保管されている「ヒトラーの行動記録(16ミリ)」を戦後ミュンヘンでハンス・バウアーから押収し、保存していたのが長女メヒテルトの夫ヘルベルト・セイント ゴアである。ライン川流域のセイント・ゴア(ドイツ語でザンクト・ゴア)市の200年前の富豪で市長を勤めたラツァルス・セイント・ゴアは彼の祖先である。当時の宗教上の功績から聖ゴアのように聖(セイント)の称号を授与されている。 最近、顕彰されて子孫がドイツから大歓迎を受けた。また、メヒテルトの母方の祖先エリザベートが聖職者(未確認)ということでもある。カルシュには、戦後活躍した多くの著名人を育んだだけでなく85年前の出雲の地や日本各地の貴重な記録を後世に残した功績や、さらに自身についても多くのことが語り継がれている、松江にとどまらず全国に誇るべき偉人である。現在、彼の長女メヒテルトはアメリカでシュタイナーの人智学の中心人物として、ドイツ語から英語への翻訳を行っている。また、次女フリーデルンは戦後のドイツのマールブルクにあるシュタイナー学校(自由ヴァルドルフ学校)出身である。彼女はマールブルク大学で政治学、地理学の2つの学位を取得後には、同じ自由ヴァルドルフ学校でシュタイナー教育に永年携わり、定年後の現在も継続的に活躍している。そして、直接に彼女から二代にわたって教育を受けた日本人にも辿り着くこともできるほど、カルシュの影響の拡がりを世界中にみることができる。
追記 彼の業績は解説的に以下のURLに載せてあります。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/karsch/index.html
また彼の残した写真を27冊のアルバムにまとめて以下のURL
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/karsch/Photo.html
に部分的に公開中です。
カルシュ博士が大正末期から昭和初期にかけて撮影した日本各地の写真を然るべき場所で展示したいと願っております。それに関するアイデアと組織的なご協力、ご尽力をいただければ幸いです。
東京医科歯科大学 大学院教授 若松秀俊
電話番号 03-5803-5366(勤務先)E-mail:wakamatsu.bse@tmd.ac.jp
東京医科歯科大学 保健衛生学研究科教授です。専門は医用生体工学、医療福祉遠隔システム工学です。実際に脳低温制御の自動化システムおよびユーザが特別なソフトウエアと費用を必要としない福祉通信システムの開発・実用化を行っています。


