心理面重視の取調べ『「落とし」の技術』
本書(北芝健『「落とし」の技術』双葉社、2004年)は元警視庁刑事による取調べの経験をまとめたものである。著者は警察時代の経験を多くの本にしているが、本書は取り調べのテクニックに焦点を絞っている。詳細な心理分析を加えており、本書で書かれた内容は日常生活での交渉や人間関係の構築にも応用可能になっている。
刑事による取調べシーンは様々な作品で描かれているが、本書の特徴は「相手の尊厳を傷つけない」ことをモットーにしている点にある。志布志事件の踏み字のように被疑者の自尊心を打ち砕いて自白に導こうとするような取調べ手法が横行している中で本書は非常に新鮮である。
本書では「暴力や脅しによって自白を引き出すような方法は、あってはならない」と断言する(204頁)。帝銀事件などを担当した刑事・平塚八兵衛の取調べの実態も正直に記述している。「平塚刑事の取調べを受ける被疑者は、誰もが恐怖で顔面蒼白になって取調室に入っていった。そしてしばらくして部屋を出てきたときには、体のあちらこちらに殴られた痕を残していた」(200頁)。
日本の警察には過酷な取調べで被疑者を追い詰めて自白に追い込む傾向が強い。横浜地方裁判所による再審開始決定(2008年10月)で、横浜事件は神奈川県警特高課が拷問により自白をでっち上げたものであると認定された。近年でも鹿児島選挙違反事件(志布志事件)や富山連続婦女暴行事件のように冤罪事件は繰り返されている。
著者の主張は警察の戦前から続く旧態依然とした体質とは一線を画すものである。警察組織に属していた著者が先人の手法を批判することは小役人体質ではできないことである。著者は警察擁護派を自称し、内部告発者ではない。古巣の組織を批判することは、ある意味では内部告発者以上に勇気がいる。内部告発者ならば組織と完全に対立しており、これ以上関係を悪化させようがないため、かえって批判することに躊躇はない。
但し、著者の主張がどれだけ実体を有するものであるかは疑問がある。著者は別の著作において、被疑者に「徹底的に辱めを与え精神を崩壊させる」取調べの実態を物語っている(北芝健『スマン!刑事(デカ)でごめんなさい。』宝島社、2005年、167頁)。しかも、それを「刑事にとっては最高の“ストレス発散部屋”」と言っている。これでは個人の歪んだ正義感から被疑者に暴力を加えた平塚八兵衛と変わらない。
また、「相手の尊厳を傷つけない」と主張するが、本書で紹介されたテクニックは不利な立場に追い込まれたと相手に思い込ませて相手に喋らせようとするものである。真の意味で人間の人格を尊重しているわけではない。意地悪な見方をすれば被疑者を心理的に追い込んで自白を誘う従来型捜査手法と五十歩百歩である。
このように本書には疑問があるものの、一般の人々の日常生活においても全ての人間関係において相手の人格を尊重することはできない。私自身、東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を説明されずにマンションを騙し売りされた経験があり、裁判にまで至る激しいやり取りがあった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。そこでは友人や家族に対するのとは違った対応が必要になる。そのような場面において本書で紹介されたテクニックは大いに役立つものと考える。
東急不動産消費者契約法違反訴訟を描いたノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社、2009年)の著者です。

