《柔道事故と脳損傷》第1回シンポジウム開かれる(前)
今年3月、柔道による事故被害者らで「全国柔道事故 被害者の会」(小林泰彦会長)が結成されたが、同会主催によるシンポジウム(第1回)が6月13日、東京都内で開かれた。会場には、文部科学省、教育委員会、全日本柔道連盟などの関係者、医療や法律の専門家などが顔をそろえた。柔道事故被害者の家族らも秋田、福島、千葉、東京、長野、滋賀、大阪、広島から9家族が駆けつけ、下記(1)~(4)の講演・発表に耳を傾けた。

当日の受付の様子。シンポジウムは、趣旨に賛同する多くのボランティアの人たちによって運営・開催された(撮影・三上英次 以下同じ)。
(1)「27年で死者109人」―愛知教育大学・内田講師によるデータ分析
内田氏は、「新しい学校安全」として最近は防災対策、不審者対策などが関心を集めていることをスライドで紹介し、その上で「柔道事故は、この種の事故より何倍も多く起きている」と切り出した。そして「人々が気づいていないのに、実際に起きている事故がある」と述べ、学校での発生率の高い事故として「ひとつは転落事故、そしてもうひとつが柔道事故だ」と述べた。
内田氏は4年ほど前から、柔道事故のデータに注目するようになったそうで、会場では26年間の「中学・高等学校における部活動での死亡事故発生件数」が示された。本シンポジウム開催に当たっても、授業・部活動を含めた「27年間で109人」という柔道事故死亡者数が大いに注目されたが、「部活動」に限ったデータでも柔道は91名の死亡者数があり、競技人口あたりで割った死亡率で見ると、柔道は、野球(死亡者数98名)を抜いて極めて高い死亡率になっている。
内田氏の分析によると、柔道の死亡事故で特徴的なことは、次の3点だ。
◎初心者の死亡が目立つ
◎部活動中の事故が大半である
◎柔道特有の動作による死亡が極めて高い
それでは、授業や部活動における柔道の安全性を高めるためにはどうすればよいのか。内田氏は、〈指導者の育成〉〈施設などの環境整備〉を挙げたが、もう一つ〈学校の授業に特有の問題〉として、「限られた授業時間数の中で、授業は楽しくなくてはいけないという要請があり、どうしても限られた時間数(授業数)の中で、ゲーム(=乱取り)中心になる」ことの危険性について、指摘があった。
これまで、おそらくは学校関係者も、柔道関係者も、上記「109人」という数字を見逃してきた思われるが、この数字を今後どうするのか、突きつけられた課題は重い。
(2)「コンタクトスポーツと脳損傷」 ~キーワード〈加速損傷〉~
内田講師の発表のあと、野地雅人医師より、「コンタクトスポーツと脳損傷」という題で話が続く。「脳は、水を張った鍋の中に浮いた豆腐にたとえられる」――、その脳がどのようにして傷つくのか、野地氏による説明によると、脳の損傷には、次の3つがあるという。
〔a〕直接損傷 〔b〕対側(たいそく)損傷 〔c〕加速損傷
〔a〕は「打撃が加わった部位の損傷」、〔b〕は、言わば車の玉突き衝突のような「打撃が加わった、ちょうど反対側の損傷」、そして〔c〕は「高速の回転による、固い頭蓋骨と内側のやわらかい脳のずれによって、橋静脈(きょうじょうみゃく)が破損し、硬膜下血腫などを引き起こす損傷」だという。
〔c〕は、最近 赤ん坊を激しく揺さぶることで生じる、「乳幼児揺さぶられ症候群(Shaken Baby Syndrome:SBS)」でも注目されている脳損傷のありかたであり、野地氏によれば、「頭が強く速く揺さぶられることで起き、頭を打たなくても起こる」ということである。このことについては、シンポジウムの終わりで、村川副会長も改めてふれた――「よく柔道の指導者は、引き手を持っていたから…、投げられた側は頭を打たなかったから…大丈夫だと言いますが、頭を打たなくても、ヘッドギアをつけていても、この加速損傷による脳損傷は起こるのです」 確かに、このような脳損傷のタイプはこれまではあまり注目されて来なかったことは事実であり、今後、さらなる研究が期待される。
そのあと、野地医師から、ボクシングでの安全対策として、メディカルチェックやリングドクターによる診察、緊急時の病院との連携(注・ボクシングの場合は、あらかじめ試合があることを関係する病院に事前に伝えておくとのことであった)、さらに、指導者に対する安全講習会などが紹介され、「今後、柔道でも、このような安全面への配慮が必要となるだろう」とのコメントがあった。
さらに、アメリカでは、アメリカンフットボールでの脳震盪(のうしんとう)と死亡数との関係から、脳震盪への緻密な分析がされ、そのことで死亡数を減らすことが出来たと紹介があり、「日本でも、脳震盪そのものを軽視せず、もっと慎重になって欲しい」と野地医師は訴える。
尚、「安価で、内容もよくまとまっている」とのことで、柔道指導者らに向けて、野地医師から次の書籍も紹介された。
◎『頭部外傷10か条の提言』(日本臨床スポーツ医学会/学術委員会脳神経外科部会 小学館スクウェア 定価500円)

参加者からの質問に答える野地医師。「スポーツの指導者は、決して脳震盪(のうしんとう)を軽く見ないでほしい」
(3)「厳しい練習」と「しごき」の境
続いて、認定NPO法人「子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク」の山田不二子理事長からは、「子ども虐待とネグレクト」という考え方をもとに、適切な柔道指導のあり方、特に適切な指導と「しごき」の境界部分について示唆に富んだ発表がされた。
もともと「虐待」の定義は、児童虐待防止法によれば、〔1〕暴力〔2〕わいせつな行為〔3〕ネグレクト(=放置)〔4〕心理的外傷を与えるような言動等に類型されているが、山田氏は「虐待」を「『子どもの良好な状態(Well-being)』に危害が加えられたり、侵される危険性の高い状態にあったりすること」としてとらえる。山田氏によれば、このとらえかたが「グローバルスタンダードとしては、日本の法律上の定義よりも一般的」であるという。
そして、養育者が「しつけのため」「子どもの教育のため」「子どもの将来のため」だと言っても、「子どもの良好な状態(Well-being)」に危害が加えられたり、侵される危険性の高い状態にあったりすれば、それは「子ども虐待(=子どもにすべきでないことを行うこと)」や「ネグレクト(=子どもにすべきことを行わないこと)」に当たるとする。
その考え方を、山田氏は柔道での「しごき」にもあてはめる。つまり、指導者は往々にして「うまくなるため」「強くなるため」「この子のため」「子どもの将来を思って」といったことを口にするが、個々の“指導”が、本当は子どもにとって有害である場合もあるかもしれない。したがって、「子どもの良好な状態(Well-being)」に危害が加えられたり、侵される危険性の高い状態にあったりすることの有無によって、当該指導が、適正な練習か、危険な「しごき」かを判断することを山田氏は提案する。
さらに、子どもに危険なことすべてが「しごき」となるかについて、山田氏は、
〔1〕「虐待」に相当する…「しごき」と
〔2〕「ネグレクト」に相当する…「安全管理不行き届き」とを考え、
〔1〕〔2〕を合わせて「不適切な指導」とする。
その上で、山田氏は、次のような疑問にも考察を加えていく。
「結果の重大性を知らなかった」「事故は予見できなかった」「悪意はなかった」等といった理由で、指導者の責任は免責されるのだろうか――?
スポーツの指導者は、保護者と同様に子どもを守る責任を有しており、当然知っておくべきことを指導者が知らずに子どもを守れなかった場合には、いわゆる「ネグレクト」の考え方を援用して責任を問えると山田氏は説く。また多くの場合、指導者が悪意(故意)を否認さえすれば免責されるようなことは不合理であるとして、山田氏は、指導者のとるべき責任についてより広くとらえていくことを提唱した。
但し、現実には、「人力による高速回転運動だけで、脳に損傷が生じるのか」といったことについては、「まだわからないところもある」という。しかし、優位的な立場を利用し、「技」にかこつけた暴力などは論外であるとして、今後とも関係者が事故防止に尽力することを求めて、話を終えた。

シンポジウムの終わりにあいさつをする、全柔連総務課長・坂本健司氏(左)
(4)海外の取り組み ~海外と日本との驚くべき相違~
内田講師、野地医師、山田氏と3名の専門家からの発表のあと、柔道事故の被害者家族2名からの話があった。はじめに2009年8月24日に、柔道の練習中の事故から息子を亡くした村川弘美さんの話(注・〔後編〕で掲載)、続いて「欧米の柔道における未成年の事故と安全への取り組み」と題して、小林恵子さんから、興味深い発表があった。
海外の柔道・死亡例の実態はどのようなものか――、発表では、フランス、イギリス、カナダ、アメリカの4ケ国への聞き取り調査の結果が紹介された。
まず、調べていくうちに、フランス・ピレネー地方のデータ(レポート)があったという。具体的には2006~2008年の2年間、173件の怪我の事例に関するものだ。それによると、脳震盪が8、9例、全体の約5%あったらしいが、小林さんからのメールの問い合わせに、担当者は次のように答えて来たという。
「(レポート以後の)2009年に頭部外傷は3例あったが、脳損傷は無かった」
「過去15年、柔道による脳損傷は扱ったことがない」
「柔道での15歳以下の死亡報告は無いと確信している」
続いて、イギリス柔道連盟からの質問に対する回答も紹介された。
「柔道事故による青少年の死亡例は無い」
特に、イギリスの場合、成長期にある選手の身体的未熟さを軽視した「過度の訓練」、「不適切な訓練」「過度の競争」は、「Abuse〔虐待〕」であると明記されているのだという。
そして、そのような虐待と思われるようなケースについて、関係者はどこに訴え出て、どのように対応すればよいか、事細かに書いてあると小林さんはイギリスの実状を説明した。また、「ある選手が、子供の頃、不適切な指導を受けており、今も、当の指導者が指導に当たっているような場合」であっても、それを訴え出ることができるという。
「どのようにまわりが訴え出ればよいかが細かく書いてある、読めば読むほど素晴らしい」と小林さんは感想を言い添えた。
さらにカナダの場合はどうなのか――。
「先方から、カナダの青少年の柔道人口は1万人程度(注・全柔道人口の約半分、日本の柔道人口は約20万人)なのでどこまで参考になるのか、わからないが…と、ことわりがありました…」と小林さんは前置きして、次のようにカナダの状況を明かした。
それによれば、カナダは1990年代後半、死亡事故が2例あったという。しかし、柔道連盟で原因究明し「脳震盪が危険である」ということがわかり、そのことを現場に徹底していくことで、この10年での死亡例はゼロとのことであった。
最後に、アメリカについても報告があった。アメリカの場合も、この10年間の柔道事故を集計したところ、「18歳以下の柔道事故による、脳損傷、重傷者、死亡事故の報告例」は、ゼロだという。
4ケ国の事例報告のあと、小林さんは、2010年4月に、全日本柔道連盟(全柔連)の医科委員会が初めて脳神経外科医を委員に迎えたことにふれた。「これだけ脳損傷で、子どもたちが亡くなっているのに、これまで脳外科医が委員に入っていなかったということがむしろ不思議です」
そして、次のように述べて報告をしめくくった。
「日本では、武道である柔道に危険はつきものだとか、事故は仕方がなかったのだなどと言って済まされてしまいます。しかし、そのような考え方は、日本では“常識”であっても、世界的に見れば非常識なのです。欧米の現状を調べて、はっきりとわかりました、日本でも欧米と同じように、柔道連盟のよき導きで死亡事故をゼロにできるのです。どうぞ柔道関係者の方など、皆でこの問題を考えていきましょう――。」(注1)

今回のシンポジウムでは、「加速損傷」、「海外との比較」など、ふだん意識しないことについて焦点があてられ、その意味でも意義深いシンポジウムであった。写真は6月5日に行われた実業団の大会、開会式の様子。
休憩と質疑応答のあと、文部科学省スポーツ青年局企画体育課長や、全柔連総務課長からも今後に向けての意見があった。最後に、小林泰彦会長から、各方面からの参加があったことへの感謝の言葉と、次のようなあいさつがあった。
「柔道関係者、学校関係者など各方面の人たちが力を合わせて一歩踏み出せば、海外のように、死亡事故等は0(ゼロ)にできます、その一歩を踏み出さない限り、またこれまでと同じように、死亡事故が起きるでしょう」
小林会長によれば、今後「全国柔道事故 被害者の会」は、あらゆる立場の人たちと連携し、各種資料、データなど無償で提供し、「事故ゼロ」に向けて協調していくという。
折りしも、今年は嘉納治五郎生誕150周年に当たる。この「柔道事故と脳損傷」シンポジウムが行われた前日には、同じく都内で記念シンポジウムも開かれている。もともと柔道は、体の弱かった嘉納治五郎が「武術としてのほかに知育・体育・徳育として誠に貴重なるもののあること」を知り、明治15年、〈柔道〉として体系化されたものだ(注2)。その〈柔道〉の「究極の目的」として嘉納治五郎は次のように述べている。
「己(おのれ)を完成し世を補益(ほえき)するのが柔道修行の究極の目的である」(注3)
フランス、イギリス、カナダ、アメリカ等で、事故ゼロの現状があったり、事故ゼロの取り組みが功を奏したりしている中、柔道の祖国、日本でのみ、死者が出続けるというようなことがあってよいはずがない。村川副会長は、「今日、6月13日を、柔道のターニングポイントにしたい」とシンポジウムの終わりに述べたが、今後とも、教育行政、学校、柔道、医療、法曹など、立場の違いを超えて、英知を結集していくこと、ともに手を携えることが期待される。
(了)
(注1)
シンポジウム後に、小林会長のもとに、ドイツ柔道連盟のマンフレッド・ビロード氏から回答が届く。そこには簡潔に次のように書いてあった(原文英語)。「ドイツでは少なくとも現時点で、子どもや青少年の間での、柔道に起因する死亡事故や重篤な脳損傷に関する情報はありません」
(注2)「嘉納治五郎著作集」(五月書房)第3巻P26
(注3)「嘉納治五郎著作集」(五月書房)第2巻P14
〈関連記事〉
◎ 村川副会長へのインタヴュー http://www.janjanblog.com/archives/4824
◎ 《柔道事故と脳損傷》第1回シンポジウム開かれる(後)
http://www.janjanblog.com/?p=6104&preview=true
〈関連サイト〉
◎ 「全国柔道事故 被害者の会」
(日本語版)http://judojiko.net/ (英語版)http://judojiko.net/eng/
◎ 全日本柔道連盟 http://www.judo.or.jp/
◎ 講道館 http://www.judo.or.jp/
〈武道関連記事〉
◎ 「養神館合気道、安藤師範に聞く」
(前)http://www.janjannews.jp/archives/2687363.html
(後)http://www.janjannews.jp/archives/2703370.html
◎ 「幼稚園で合気道」
http://www.janjannews.jp/archives/2787057.html
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