雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…人力車を引いて15年

 初詣客でにぎわう浅草の街で、人力車を走らせる松林和博さん(41)。27歳の時に、この業界に入ってから、早15年が経つ。

 はじめ松林さんは建築業の仕事をしていたが、ひょんなきっかけから人力車のアルバイトをして「遊びみたいなことをして、それでお金がもらえた。面白い!」とこの道に入ったそうだ。

浅草の街で人力車を引く松林さん。40代とは思えない軽やかな身のこなしだ。(撮影・三上英次 以下同じ) ※撮影日2012年1月3日

 人力車の仕事の魅力は何か――。

 「やっぱり人とのふれあいでしょうか…、〈ふれあい〉というよりは〈友情〉とか〈人づきあい〉と言ってもいいかもしれませんね。私は、お金…お金…と利潤を追求するよりは、とにかくお客さんとのふれあいを大切にしたいし、それがこの仕事の魅力ですね」 

 松林さんの横で奥さん(40)も同じことを言う。

 「人力車の仕事は、すべて面白いです。人との出会い、笑顔…ですね。お客様が人力車に乗って喜んでくださるのを見ると…やめられないです。励ましの言葉を頂いたり、地元の商店街の人たちとも親しくなれたり…」 

 聞いていると、いいことづくめのようだが、苦労は無かったのだろうか。さらに聞いてみると…。 

 「もちろんあります、人力車はお客さんに乗ってもらえるまでが、辛抱、忍耐です。朝8時から夜7時まで待ってお客さんが1件も無かったこともありますし……」 

 松林さん自身も、この15年間をふり返るといろいろな思いがあるようだ。人力車を始めた頃は、まだ社会からの認知度も低く、何から何まで松林さん一人でこなさなければならなかった。今では、10人近くの車夫をまとめ、会社もそれなりに軌道に乗った。一方で、人力車をめぐっては過当競争にもなりつつあるという。

 現在、浅草には20人程度の車夫を抱える大手が3社、車夫10人程度の中堅が3社、それに一人で営業している個人事業者が13~14ぐらいあるそうだが、業界に詳しい人の話では、「一定の客を多くの業者が取り合っている」ようなところもあるそうだ。キャバレーの客引きではないが、大手業者が外国人観光客をしつこく勧誘して苦情が寄せられたこともあるという。 

 「人力車は、お客さんの安全があってのことですし、うちは面接も慎重にしています。お金を稼ぐことだけがうちの方針ではないので、もちろん人力車を引きたいという希望があっても丁重におことわりすることもあります。うちの場合は、採用を決めてからの研修もかなり厳しいんですよ」 

 その横で、大いにうなずいていたのが、大学4年生の山本拓摩さん(22)だ。山本さんは、2010年の夏に松林さんの会社「松風」に応募し、かなりの研修を積んで、現在アルバイトとして人力車を引いている。

伝法院通りの街並みをお客さんに説明する廣瀬さん 

 松林さんのところに若い人が集まるのは、松林さん夫妻の人徳にもよるらしい。廣瀬愛理さん(26)は、もともと鎌倉で5年ほど人力車を引いていた。それは廣瀬さん自身が英語好きで「日本の文化を多くの人に伝えたい」という思いがあったからだそうなのだが、ノルマの厳しさ等からいったんは辞めてしまった。

 「もう2度と人力車は引かないだろうと思いました。そこでの体験が、ある種のトラウマになって…」

 ところが、その後松林さんはマラソンにのめり込む。その時「1キロ走って1000円もらえる仕事は無いかなぁ…」と冗談で思っているうちに、ふと、かつての人力車のことを思い出したという。はじめ廣瀬さんは浅草にある会社2社のうち、どちらに行こうか迷っていた――。1社に電話したところ誰も出ず、「松風」に電話すると松林さんが出て、すぐに「面接においで」ということになったらしい。人との出会いは、どこに転がっているかわからないものである。 

 そんな偶然からの人力車との再会だが「今の親方に会っていなかったら、今の自分は無かった」と廣瀬さんは話す。今の職場はノルマに追われることなく、松林さん夫妻に任されて伸び伸びと仕事ができるのが魅力だそうだ。廣瀬さんに「5年に何をしているのか?」を尋ねると「趣味のマラソンで世界一周している」と言いつつ、彼女はこう答えた。

 「今年は、何としても親方の会社を、日本一有名な車屋にしたいですね。親方にはお世話になっているので、恩返しをじゅうぶんにしたいです」

茨城から来た家族と一緒に記念撮影。右が山本拓摩さん。「いちおう…彼女募集中って書いといてもらえますか…」

 廣瀬さんの仕事に同行すると、人ごみの中も器用に車を操り、ガイドブックとは一味違う話でお客さんと盛り上がり、さらには観光記念に写真も撮り…と、10~15分のコースでも、かなり神経の使う仕事であることが実感できた。人を楽しませながらスムーズに人力車を走らせることは、そう簡単には出来そうもない。 

 なかなか最近は見かけなくなった松林さんと廣瀬さんとの師弟関係だが、実は、松林さんと奥さんの出会いも素晴らしい。最初に出会った時、松林さんはすでに人力車の仕事をしていて、奥さんの働いていた浅草の飲食店によく食事に来ていたという。その後、奥さんはいったんは飲食店を辞めて浅草を離れるが、何かの機会で浅草に遊びに来た時に、街中を走る松林さんと再会したそうである。「その当時から、少しぐらいのことでは音(ね)をあげない人で、そういうところも魅力でした」と奥さん――。 

 前述の通り「朝8時から夜7時まで待って1件の乗車なし」という話も聞いたが、松林さんによれば、酔っ払いに絡まれたり、まわりの同業者との競争もあったりで、たしかに苦労もあったようだ。 

 「酔っ払いに、車の前に立ちはだかられて通せんぼされたり…ね。そういう時も、こっちが怒っては何にもなりませんから、何とかユーモアで返すのが基本ですね。あとは…今は、私の体内に〈からまれないセンサー〉が内蔵されているので、どっちに進むとあぶないかはだいたいわかっています」 

 「怒らずにユーモアで返す」「センサーを働かせて危険を回避する」――こうした“極意”は、サラリーマンの世界でもじゅうぶんに役立ちそうだ。続けて、松林さんは、こう話す。 

 「お客さんを見て、瞬時にどういうことを求めて乗られるのかをわからないといけません。デート中のふたりの場合はあまり余計なことはしゃべらずに人力車の〈走り〉を楽しんでもらうこともありますし、浅草の旧所名跡について知りたそうな人には、そういう話も交えて走ります。」

ご覧の通り、人力車はかなりの人ごみでも器用に抜けていく。「本当は平日のほうが人力車はお得です。人ごみを意識せずにスイスイたくさん走れますから」と松林さん。

 浅草では、どの人力車もだいたい「お試し」と称して10~15分程度のコースからあるが、「どんなに短い時間であっても、お客さんに満足して車から降りて頂くのは、かなりのプレッシャーだ」と松林さんは言う。 

 「10組のお客さんがいたら、その10組すべてのお客さんを満足させるのは…むずかしいですね…」 

 松林さんはこう言って謙遜するが、今では、たまにリピーターの客もあるそうだ。最初は、人力車が好きで乗ってくれたお客さんが、松林さんの引く車に乗りたくて、ぶらりとやって来るという。松林さんが言う「〈ふれあい〉というよりは〈友情〉とか〈人づきあい〉」を地で行く話だ。 

 最後に松林さんは将来のこと等について語ってくれた。 

 「人力車の業界だけが儲けるのではなく、浅草に来るお客さんにも楽しい思い出を作ってもらい、浅草の商店街も発展する――そういう形で、私はこれからも人力車の仕事を続けていきたいです。いつまで続けるか…ですか?まぁ、足が動く限りは、車を引いていたいですし、後進も育てていきたいですね。

 今までつらいこともありましたが、自分は、ずっと浅草の観音様が見ていると思ってやって来ました。自分が正直に仕事を続けて行けば、苦難のあとに観音様がご褒美をくれるだろうと、そんな気持ちです。」 

(了)

今回は写真を載せなかったが、現場でマネージャー的役割をこなす奥さんは、宝塚の女優さん似で、笑顔のさわやかなかなりの美人である。

  《関連サイト》

◎浅草商店連合会

 http://www.asakusa-kankou.com/

◎浅草観光連盟

 http://www.e-asakusa.jp/

  

  《浅草人力車・松風》

 「松風」では、イベント出張なども可能。問い合わせは下記まで。

◎FAX 03(5603)4338

◎Mail zinriki.matsukaze1@ezweb.ne.jp

  

  《参考記事》 ~自分にしかできない生き方~

◎「原発いらない福島の女たち 佐々木慶子さん」

 http://www.janjanblog.com/archives/54040

◎「マリンバ・デュオ 〈Natsu&Kayo〉」

 http://www.janjanblog.com/archives/46285

◎「アコーディオン弾きあんざいのりえさん」

 http://www.janjanblog.com/archives/26164

◎「新橋で靴をみがいて60年―沢村さんの場合―」

 http://www.janjanblog.com/archives/26735

  

  

  

 ※本記事についてのご意見・お問い合わせは下記まで。

pen5362@yahoo.co.jp (三上英次/現代報道フォーラム)

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