中国『撫順戦犯管理所』が60周年式典
戦時中、日本が中国人収容のため作った刑務所が、戦後、日本人戦犯を収容した『撫順戦犯管理所』が60周年を迎え、館内展示などもリユーアルされ6月20日に記念式典が開催された。
ここは戦後、捕虜としてシベリアに抑留された約60万人のうちの969人が、5年後の50年に中国に「戦犯」として引き渡され、溥儀などと共に収容された場所である。
戦犯らは56年の軍事法廷で政府、軍高官の45人を除き「起訴免除」とされ、起訴された45人に1人の死刑も無期もなく、有期刑の45人もシベリアの5年、管理所の6年が刑期に参入され64年には全員帰国した。
偽満州国国務院総務長官だった武部六藏は病に伏し病室で「禁固20年」の判決を言い渡された直後、病のため直ちに釈放と聞かされ号泣し、担架に乗せられ興安丸で帰国している。
管理所での待遇は中国人がコウリャンや粟などを1日2食しか食べられない状況の中で、戦犯たちは白米をたべ充分な食糧や医療などを与えられた寛大措置を受けた。
彼らは管理所の中で自らの加害や虐殺を認罪し鬼から人間に戻り、帰国翌年の57年に「中国帰還者連絡会(中帰連)」を組織した。そして、高齢のため02年の解散まで自らの戦争体験や加害を証言し、反戦平和と日中友好を訴え続けてきた。現在、その意志は「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が継いでいる。
式典には日本からもこの「撫順戦犯管理所」に収容されたいた元中帰連事務局長の高橋哲郎さん(89歳)と坂倉清さん(89歳)の2人を含む「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」(姫田光義代表)の他、「紫金草合唱団」や「日中友好協会」など約100人が参加した。また、当時の管理所の看護婦長や指導員(看守)などの職員の皆さんも出席し、元戦犯たちと久ぶりの再会をした。
高橋さんは祝辞の中で『計り知れない被害を受け、恨みと憎しみに満ちている中国人民は、このような私たちのに対して、管理所の全職員を通じて、実に辛抱強く、誠心誠意を持って人道的に処遇してくれました。・・・・個人的な恨み、憎しみを乗り越えて私たちの、真人間への転変に惜しみなく力を尽くしてくれました。』と語った。
式典後「中帰連」が自らの加害と侵略戦争を反省し88年に管理所に建立した『謝罪碑』に黙祷を捧げ、TV取材も多く地元新聞も大きく報じた。
ここに収容された主に59、39師団の元戦犯たちの多くは、焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くしの所謂「三光作戦」(中国側の呼称)処か、強姦までもし、女性を井戸に投げ込み、家に母子を閉じこめて火を放ったり、また、中国人を行軍の先頭に歩かせ「人間地雷探知機」などに使い正に鬼と化していた。これらの事実は何れも「中帰連」の皆さんが証言し、2000年の「女性国際戦犯法廷」で性暴力の加害証言をした金子安次さんと鈴木良雄さんもこの「中帰連」の会員であった。 この訪中団は、日本軍により3000人余りが虐殺された「平頂山惨案記念館」や「ハルピン731部隊」、逃避行中の開拓団が寒さと飢えで約5000人が犠牲になったハルピン郊外の方正に、中国政府が建立した『方正地区日本人公墓』などを訪れた。
管理所の館内展示には「中帰連」の資料や、元中帰連の方の認罪の版画や油絵などの展示もある。この「撫順戦犯管理所」は正に日中友好のシンボルの地になっており、多くの日本人に尋ねて欲しい。
記者のHP:http://serinobu.jimdo.com/
【生育】1941年・東京生れ、埼玉在住
【影響を受けた人】「宮澤賢治、田中正造、杉原千畝、林竹二、・・・・」
【関心テーマ】「冤罪・教育・平和・福祉・労働」など
【趣味】「旅、山登り」
【市民記者登録】2004年






