二大政党による政権交代し得る政治体制
先の衆院選で政権交代が実現したとき、「二大政党による政権交代し得る政治体制」こそが民主主義に適うと有識者によって論評されたが、ことは実はそう単純ではない。日本の国会では、首相を出してこその政権交代なのではなく、参院選も制してこその政権交代なのである。そのような現実と「論評」との矛盾点が今回の参院選で明らかになった。つまり、日本の憲法下においては、「二大政党による政権交代し得る政治体制」を実現することは、実は甚だ困難だという事実である。
二大政党による政権交代し得る政治体制が望まれた最大の要因は、それによって、100年以上続いた官僚主導政治から国民主導政治へと「チェンジ」できると考えられたからであったと思う。しかしながら、今回の参院選で明らかになったことは、100年以上続いた官僚主導政治から国民主導政治へチェンジするために、二大政党による政権交代し得る政治体制を実現するという方策は、実は甚だ困難だという事実なのであった。
繰り返し述べるが、ことは民主党の敗北が問題なのではない。これからの選挙においては、自民党にとっても同じことになる。すなわち、これからの選挙において、自民党が参院の野党勢力を動員し、衆院を解散に追い込み、衆院選で勝利し、首相を輩出したとしても、政権奪取したことにはならず、さらに次の参院選で過半数を獲得しない限り、民主党から自民党への政権奪取は完了しないということなのである。
それでは日本において、民主主義に適う、かつ実現可能な政治体制を構築するには、どのようなことが考えられるのだろうか。一つは、「二大政党による政権交代し得る政治体制」の実現をあくまで追求することである。そのために憲法を改正する必要があろう。この方策は甚だ困難を極めることだろうが、追求する価値はあると考える。また、憲法を改正せずに済ませる方策を、与野党こぞって編み出すという方策も考えられるだろう。そして、新たな方策は「二大政党による政権交代し得る政治体制に代わる新たな政治体制」を探ることではないか。
今回の参院選の結果、我々は新たな「ねじれ国会」を迎えるが、ねじれ国会こそが、「二大政党による政権交代し得る政治体制に代わる政治体制」には成り得ないのだろうか。記者としては活発な意見交換を求めるものである。
関東地方のサラリーマンです。ツカサネット新聞とJanJanネット新聞に投稿していました。我が町の周囲にも米軍基地があります。
【ご意見板】12 件の書き込みがあります



二大政党制なる政治制度は、英米のみの特殊な政治制度であり、その母国イギリスではすでに崩壊してしまった、歴史的文化遺産になりつつあるような気がします。そもそも、これだけ国民の価値観もライフスタイルも多様化している時代に、政治だけがたった2つの政党しか認められないというのは、どうにも理解に苦しみます。
そのうち記事として発表するつもりですが、私は現代の社会の仕組みの中では議会制民主主義の仕組みそのものが適合不全を起こしており、国民の政治への直接参加の機会を増やしたほうがいいのではないかと考えています。おそらくそれなくしては政権交代が起こっても政界再編が起こっても、地方分権が進んでもよい方向に向かわないのでは?と思っています。
興味深い指摘です。情報処理技術がそのインフラとして用意されているのではないでしょうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100707/215313/?P=1
「政治家が身を切らないと、消費税は上げられない」という幼稚な議論
北海道大学法学研究科/公共政策大学院准教授・吉田徹
珍しく感心した主張なので、皆さんに紹介します。(読者登録をしないと読めないかもしれません)
なお、日経は消費税翼賛路線なのでタイトルに消費税が入っていますが、消費税を上げろという主張ではないので念の為。
内容に触れると、
○二大政党制は世界的には傍流である事。
○議員数削減は民主主義の逆行。(世界的に見れば、人口に対する日本の議員数は決して多くない。有権者の多様性は議員数により反映される)
○マニュフェストは有権者(消費者)獲得のマーケティング。
○無党派層は「改革」でしか動員されない。
○利権を剥がすのが政治になっているが利権のない国民はいない以上、改革が自己目的化するといつかは自分の首を絞める。
その他
劇場型政治とは、国民は単なる観客だというだ。政治への直接参加の機会がないということだ。
政治の舞台裏が分からない。民主党を国民をよく知らない。政治のテーマが「政治とカネ」、「普天間問題」、「マニフェスト違約問題」から、いきなり消費税10%になっても、そのあまりの急変に国民は不信感を持つ程度である。
消費税問題も、10%に上昇すれば、確実に消費が落ち込むでしょう。
政治とは、未来と同じく全く、不確実なものなのか。
例えば、明日は晴天だと予報されて、いきなり大雨になるのが常態化したら。
国民は天気予報を信用しなくなる。国民はもはや政治を信用していないかもしれない。
これが、劇場型政治の欠点である。国民の参加がない状態が続く、政治家の世襲化が進む、政治家の質が落ちる。経済が全く分からない、空き缶総理の登場となる。べ平連の闘士も劇場型政治の中では空き缶になるのが、必然なのか。
2.井上 純様、
《私は現代の社会の仕組みの中では議会制民主主義の仕組みそのものが適合不全を起こしており、国民の政治への直接参加の機会を増やしたほうがいいのではないかと考えています。》
別記事のコメントで少々触れたのですが、私も議会制民主主義は兎も角、政党政治には疑問を持っています。
記事の方楽しみにしております。
秋吉さん、井上さん、大城さん、井澤さん、愛知さん、風間さん、書き込みありがとうございます。
いままでのこの国の政治は自民党の一党支配が続き、官僚はもっぱら自民党を抱き込むことで、この国を事実上牛耳ってきた。
そこで二大政党制になれば、自民党一辺倒の官僚支配が崩れ、国民目線の政治ができるとの仮説を民主党は訴えた。
しかし、二大政党制になったらなったで、官僚はもっぱら与党を抱き込むことで、この国を牛耳ろうとすることがわかってきた。
ならば、ねじれ国会という、官僚が誰を抱き込めばいいのか分かりにくい政治というのはアリなのではないかと考えた次第。
現在は経済制度、社会制度、政治制度がみな行き詰まりを起こしているのではないかと偶考します。この秋ぐらいまでにはまたEU発の金融大恐慌が始まるのではないかと恐れます。
おおきくいえばいまは歴史の大転換点に差し掛かっているのではないかとも思います。
このような時期には長い目で見た政治の安定こそがのぞましいのですが真泉様ご指摘のとおり基本的なことは何も決まらず大向こう受けするのための小手先の合従連衡のみが政治になってしまう事になりかねないと思います。
6年たたなければ何も決まらないという政治が常態化すれば国民の政治不信は頂点にたってしまいます。
これだけ国民生活が窮乏化しているときに30年の停滞はありえない話です。乱暴な話ですが憲法を改正して参院せいどをなくしてしまうとかと言うような抜本的な改革も必要ではないでしょうか。矛盾するようですが二大政党ではなく多様な国民の要望を反映するためには多党化もありだと思います
官僚は極めて重要で、官僚なくして国の維持は難しいでしょう。
余り語られませんが、米国、英国でも官僚の数は極めて多いのです。
また、ねじれも先進国では珍しいことではありません。
要は、日本の政治家の成熟度が低いだけではないでしょうか。マスメディアもいたずらにねじれねじれと煽るばかりです。
私は、国政を司る議員数は極めて少数でいいと思います。外交、憲法問題、国税など、国全体に係わることのみに係わり、多くは地方自治に任せる。
重要なことは、国民投票で採否を決めればよい。
おらが地方の代議士様はいりません。地方のことは地方でやればよい。いちいち国政に持って来ようとするから、利権や族議員が生まれるのです。
従って、地方区は不要となり、比例代表制のみとすれば、基本的には多党制となります。
9.JK様、
《要は、日本の政治家の成熟度が低いだけではないでしょうか。》
この点は同意です。
人数とか、選出方法は置いておくとして、例えば、国会議員の重要な仕事であるはずの予算の決定に際し、事実上は財務官僚に任せっぱなしでした。民主党が『事業仕分け』とかいうパフォーマンスをして見せましたが、あれも、国会外で議員以外の人々(一部議員もいましたが)による法的権限のない者でした。国会議員は、もっと真面目にやってもらわないと困ります。挙句の果てが、十年以上にわたり、議員を務めながら、首相になってから半年以上もたって初めて「抑止力のことが解った」等と寝言を吐く始末ですから。
選挙時の演説も気になります。殆どの議員が自らの信念や政治信条、具体的な政策案を語らず、ただ「お願いします」を繰り返すばかりです。言っていることもやっていることもお乞食さんと何も変わりありません。
>9.JK様
「国政を司る議員数は極めて少数でいい。外交、憲法問題、国税など、国全体に係わることのみに係わり、多くは地方自治に任せる」という地方分権/地方主権が為された暁には、おっしゃる通りかと思います。
しかしながら、地方分権/地方主権が為されるまでは、国政を司る議員数が少数ではマズイでしょう。国政を司る議員数は極めて少数では、地方分権/地方主権が為されなくなってしまうのではないかと危惧致します。
参院議員は都道府県知事の兼務でいいのではないか。討議・評決はインターネットで行い全国民が閲覧可能にする。議員の歳費や運営費を節約し国会運営がガラス張りになる。